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東京地方裁判所 昭和50年(刑わ)941号 判決 1981年8月10日

本店所在地

東京都中央区銀座四丁目八番一三号

銀座蟹睦会館ビルデイング二階二〇一号

株式会社三千画廊

(右代表者代表取締役小林信夫)

本籍

東京都大田区西六郷一丁目一五番地

住居

東京都豊島区目白四丁目二番一四号

目白フラツツ三〇二号

会社役員

小林信夫

昭和一六年一一月二八日生

本籍

広島県深安郡神邊町大字川北五一三番地

住居

広島県深安郡神辺町大字川南字五ノ丁川下

画商(元会社役員)

佐藤造

昭和六年五月一六日生

右被告人株式会社三千画廊、同小林信夫、同佐藤造に対する法人税法違反、被告人小林信夫に対する業務上横領各被告事件につき、当裁判所は、検察官検事五十嵐紀男出席のうえ審理を遂げ、次のとおり判決する。

主文

被告人株式会社三千画廊を罰金八〇〇万円に、同小林信夫を懲役一〇月に、同佐藤造を懲役六月にそれぞれ処する。

被告人小林信夫、同佐藤造に対し、この裁判確定の日から各三年間、右各刑の執行をいずれも猶予する。

訴訟費用は、被告人小林信夫の負担とする。

公訴事実中昭和五〇年三月二四日公訴提起にかかる業務上横領の点につき、被告人小林信夫は無罪。

理由

第一部  被告人三名に対する法人税法違反被告事件

(被告人両名の経歴及び被告会社設立に至る経緯)

被告人小林信夫は、郷里の上田市の中学校を卒業後上京したが、もともと絵画を好み、一時は画家になることを志したものの、ゴツホ兄弟の書簡を読んで感激し、ゴツホの弟のような画商となることを決意するに至り、昭和四〇年ころから「大阪三千画廊」と称して知合の画家此木三男等の作品を取扱うようになり、同四四年ころからは台東区上野五丁目五番八号所在レストラン「ジロー」の二階を借受けて常設展示場とする等して絵画の販売を行ない、さらに、昭和四五年一月からは知人の勧めにより田島稜治の経営する中央区銀座一丁目所在「昭和画廊」の店員として勤務し、画商の修業をする傍ら、「大阪三千画廊」名義の個人の取引を継続し、逐次契約画家を増やしながら、三〇歳で独立して画廊を経営することを夢見ていた。

被告人佐藤造は、昭和三〇年三月明治大学法学部を卒業後東急エビス産業株式会社(のちに日本農産工業株式会社に吸収合併された。)に入社し、昭和四七年二月末の退職時には同社横浜工場の事務課長等の地位に在つたものであるが、これより先、同四六年七月ころ、額縁商倉片某の紹介で前記昭和画廊を訪れ、被告人小林信夫から、同被告人が個人営業として取扱つていた葛西四雄の作品を購入したことから、同被告人と親交を深めるに至つた。

被告人小林信夫は、同佐藤造に対し、独立して画廊を経営したいとのかねての夢を語り、同年一〇月ころには共同事業の計画を、同年一一年ころには資金の融通方を持ちかけたが、被告人佐藤造はいずれもこれを断つていた。しかし、被告人佐藤造としては、やがて満五五年で定年を迎えることとなれば、退職後は趣味を兼ねて絵の仕事をしたいと思い、かねがねボーナス等を利用して絵を買い集めていたことでもあり、この際思い切つて被告人小林信夫の誘いに乗ろうとの気持が昂じ、妻とも相談し、郷里の父親にも金策方を依頼する等の手筈を整えたうえで、翌四七年一月七日ころ、被告人小林信夫の自宅を訪れ、共同事業に応ずる旨を申入れた。被告人小林信夫は自分を社長にして欲しい旨の条件を出し、あとは平等でやろうということで被告人両名の合意が成立した。

かくして、被告人両名は、銀座蟹睦商業協同組合代表理事纐纈庄太郎との間に、同協同組合が中央区銀座四丁目八番一三号に当時建築中であつた銀座蟹睦会館ビルデイング(昭和四七年五月一〇日落成)の二階二〇一号室を賃料月額八万一三八〇円、保証金五〇〇万八〇〇〇円で賃借する契約を結び、内装工事等を進める一方、顧客である作家邸永漢の勧めに従い、両名の共同事業体を株式会社組織とすることとし、被告人佐藤造において定款等必要書類を作成し、本店を前記ビルデイング、営業目的を絵画の買入及び販売等、資本金を三〇〇万円とする株式会社三千画廊(以下「被告会社」という。)を設立し、同年四月二一日設立登記を終え、前記ビルの落成式に先立つ同年五月三日、画廊をオープンするに至つた。

(罪となるべき事実)

被告会社は、前記銀座蟹睦会館ビルデイングに本店を置き、絵画の買入及び販売、絵画の販売企画及び以上に附帯する事業を営業目的とする資本金三〇〇万円の株式会社であり、被告人小林信夫、同佐藤造は、いずれも被告会社の代表取締役としてその業務全般を統括していたものであるが、被告人両名は共謀のうえ、被告会社の業務に関し、法人税を免れようと企て、売上の一部を除外して簿外預金等を設定する等の方法により所得を秘匿したうえ、昭和四七年四月二一日から同四八年三月三一日までの事業年度における被告会社の実際所得金額が九一三九万一五九二円あつた(別紙(一)の修正損益計算書参照)のにかかわらず、同年五月三一日、東京都中央区新富二丁目六番一号所在の所轄京橋税務署において、同税務署長に対し、所得金額が二二〇万七八八八円であり、これに対する法人税額が六一万七九〇〇円である旨の虚偽の法人税確定申告書(昭和五〇年押第二一〇三号の符1号)を提出し、もつて不正の行為により被告会社の右事業年度の正規の法人税額三三三二万三九〇〇円(別紙(二)の税額計算書参照)と右申告税額との差額三二七〇万六〇〇〇円を免れたものである。

(証拠の標目)

第一  被告人両名の経歴及び被告会社設立に至る経緯を含む判示事実全般につき、

一 <全被告人関係>被告人小林信夫の当公判廷(第二〇回、第二二回、第二三回)における各供述並びに第一七回、第一八回各公判調書中同被告人の供述記載部分及び同被告人の検察官に対する昭和五〇年三月一八日付、同月二四日付(全四丁のもの)、同月二九日付各供述調書(乙5、10、11)

一 <前同>被告人佐藤造の当公判廷(第二二回、第二三回)における各供述並びに第一八回公判調書中同被告人の供述記載部分及び同被告人の検察官に対する供述調書計一一通(乙12ないし21及び24)

一 <被告会社及び被告人小林信夫関係>第一回、第五回、第一四回、第一五回各公判調書中被告人小林信夫の供述記載部分

一 <前同>証人佐藤造の当公判廷(第二一回)における供述及び第一一回、第一二回、第一三回各公判調書中同証人の供述記載部分

一 <前同>証人石川清澄の当公判廷(第二一回)における供述

一 <前同>第六回公判調書中証人纐纈庄太郎、同田井正穂、同大沢米次、第七回公判調書中証人末永一男、同佐藤典子、同田島稜治、第八回公判調書中証人杉沢三八、同小林昭夫、第九回公判調書中証人小林茂夫、第一〇回公判調書中証人小林文子、同小林昭夫、第一一回公判調書中証人小林茂夫、同杉沢三穂の各供述記載部分

一 <被告人佐藤造関係>第二回公判調書中被告人佐藤造の供述記載部分

一 <前同>小林昭夫、纐纈庄太郎、田井正穂(昭和五〇年三月一二日付)、杉沢八重、佐藤典子、末永一男、七戸文子(昭和五〇年三月一二日付)、田島稜治の検察官に対する各供述調書(甲(一)5ないし7、17ないし19、36、38)

一 <全被告人関係>登記官作成の登記簿謄本及び閉鎖した役員欄用紙謄本(甲(一)1、2)

一 <前同>杉沢三穂(二通)、田井正穂(昭和五〇年三月二七日付)、長野康夫(二通)、梅村郁夫、菅澤芳雄(二通)、田端満、岡典子、末永三枝、小林松子、岡正雄、小林康子、七戸文子(昭和五〇年四月八日付)の検察官に対する各供述調書(甲(一)3、4、8ないし14、16、20、21、25、26、37)

一 <前同>大沢米次の検察官に対する供述調書(但し、被告会社及び被告人小林信夫関係で第一項ないし第三項を除く。甲(一)15)

一 <前同>株式会社三和銀行銀座支店、株式会社八十二銀行東京事務所長古田力、日本信託銀行株式会社銀座支店長島田肇、株式会社親和銀行東京支店(二通)、株式会社富士銀行駒込支店長吉田善次、株式会社第一勧業銀行銀座通支店作成の各捜査関係事項照会回答書(甲(一)39ないし45)

一 <前同>株式会社第一勧業銀行銀座通支店(四通)、日本信託銀行株式会社銀座支店長島田肇、株式会社富士銀行駒込支店長吉田善次作成の各捜査関係事項照会回答書(甲(一)57ないし62)

一 <被告会社及び被告人小林信夫関係>株式会社第一勧業銀行銀座通支店長田村伊佐夫、櫻田農業協同組合長理事池田健三郎作成の各捜査関係事項照会回答書(甲(一)69、70)

第二  別紙修正損益計算書掲記の各勘定科目別「当期増減金額」欄記載の数額のうち、

(ア) 「<1>売上高」、「<3>商品仕入高」、「<4>期末商品棚卸高」につき、

一 <全被告人関係>検察事務官跡部敏夫、同水野光昭、同藤田俊夫作成の各捜査報告書(甲(一)46、47、63)

一 <前同>押収にかかる仕入販売帳一冊(甲(二)9=昭和五〇年押第二一〇三号-以下押収番号省略-符10号)、黒表紙ノート一冊(甲(二)10=符11号)、47/4―48/3作家別月別仕入売上明細表(甲(二)11=符17号)、額縁社内領収証等一袋(甲(二)12=符18号)

(イ) 「<5>役員報酬」、「<6>給料手当」、「<29>損金不算入役員賞与」につき、

一 <被告会社及び被告人小林信夫関係>前掲証人石川清澄の当公判廷における供述

一 <前同>櫻田農業協同組合作成の捜査関係事項照会回答書(甲(一)70)

一 <前同>佐藤造の名刺(弁第一一号証)及び第一勧業銀行銀座通支店の第二東京弁護士会長あて回答書(弁第二三号証)

一 <全被告人関係>押収にかかる被告会社の総勘定元帳(符5号)、経費明細帳(符8号)

一 <全被告人関係>前掲杉沢三穂の検察官に対する供述調書二通(甲(一)3、4)

一 <被告会社及び被告人小林信夫関係>前掲第八回、第一〇回各公判調書中証人小林昭夫、第一一回公判調書中証人杉沢三穂の各供述記載部分

一 <被告人佐藤造関係>前掲小林昭夫の検察官に対する供述調書(甲(一)5)

(ウ) 「<9>荷造運搬費」につき

一 <全被告人関係>押収にかかる領収証等フアイル一綴(甲(二)13=符19号)

(エ) 「<14>交際費」、「<28>損金不算入交際費」中検察官認容分二七四万六〇〇七円につき、

一 <全被告人関係>押収にかかる雑領収証等一袋(甲(二)14=符20号)及び領収証等一綴(甲(二)26=符27号)

(オ) 同右中ホステスに対する謝礼金三〇万円につき、

一 <全被告人関係>前掲第一八回公判調書中被告人佐藤造の供述記載部分及び被告人小林信夫の当公判延(第二〇回)における供述

(カ) 同右中作家特別費九五万円につき、

一 <全被告人関係>右(オ)掲記の各証拠及び押収にかかる納品書仕入関係書等一袋(甲(二)15=符21号)のうち試算表と題する書面

(キ) 「<18>会議費」につき、

一 <全被告人関係>押収にかかる雑領収証等一袋(甲(二)14=符20号)のうち、昭和四七年八月二一日付焼鳥「武ちやん」の領収証及び同店宛出金伝票

(ク) 「<23>雑費」中検察官認容分二万七六七〇円につき、

一 <全被告人関係>押収にかかる雑領収証等一袋(甲(二)14=符20号)

(ケ) 同右中奈良岡正夫に対する謝礼三〇万円につき、

一 <全被告人関係>前掲被告人小林信夫の当公判廷(第二〇回)における供述

一 <前同>押収にかかる納品書仕入関係書等一袋(甲(二)15=符21号)のうち、昭和四七年五月二五日付「青森個展収支予算表」と題する書面

(コ) 「<24>受取利息」につき、

一 <全被告人関係>前掲株式会社富士銀行駒込支店長吉田善次、株式会社親和銀行東京支店作成の各捜査関係事項照会回答書(甲(一)43、44、とくに証拠書類綴第二冊二五九丁、二七六丁、二七九丁の各記載)

第三  別紙修正損益計算書掲記の各勘定科目別「公表金額」欄記載の数額及び過少申告の事実につき、

一 <全被告人関係>押収にかかる被告会社の法人税確定申告書一袋(甲(二)1=符1号)、同決算関係書類フアイル一綴(甲(二)2=符2号)、同総勘定元帳一冊(甲(二)4=符4号)、同金銭出納帳一冊(甲(二)5=符6号)、同銀行勘定帳一冊(甲(二)6=符7号)、同経費明細帳一冊(甲(二)7=符8号)、同元帳一冊(甲(二)8=符9号)、同所得税源泉徴収簿一冊(甲(二)19=符12号)、同諸給与支払内訳明細書フアイル一綴(甲(二)20=符13号)

(争点に対する判断)

第一重加算税を賦課されなかつた過少申告分(「<4>期末商品棚卸高」及び「<11>広告宣伝費」勘定)について

一 被告会社及び被告人小林信夫の弁護人原後山治他三名(以下「被告人小林信夫らの弁護人」という。)作成提出にかかる法人税法違反被告事件に関する弁論要旨(以下「弁(法)」と略称する。)第一は、本件逋脱所得とされる金額中、本件発覚前である昭和四八年一二月二一日付を以て京橋税務署長のなした第一次更正による所得増加分すなわち期末棚卸商品計上洩れ六三万円及び翌期に計上すべき広告宣伝費二〇万円合計八三万円については、同税務署長において国税通則法第六八条第一項所定の隠ぺい仮装の行為がないものと認めて同条項所定の重加算税を賦課しなかつたのであるから、実質的にはこれと同一の構成要件を掲げる法人税法第一五九条第一項の適用に当つても、これを「偽りその他不正の行為」による逋脱所得と認むべきではないと主張する。

押収にかかる被告会社の決算関係書類一綴(符2号)中の京橋税務署長井沢隆之助作成の法人税額等の更正通知書および加算税の賦課決定通知書によれば、同税務署長において被告会社の昭和四八年三月期の所得に関し所論の如き更正をなし、その理由として、(一)期末棚卸に計上すべき葛西四郎(「四雄」の誤記と認める。)の八号一点、一〇号二点合計二八万円(代表者小林信夫自宅保管分)並びに翌期の売上等に計上され当期に仕入れたものである川上尉平一五号一点一二万円及びその他九点合計二三万円、以上合計六三万円の計上洩れがあり、(二)実業日本(「実業之日本社」の誤記と認める。)に支払つた「週刑小説」昭和四八年四月二〇日号川上尉平分広告料二〇万円は、同誌の発売が翌期になされており、当期の費用ではないので加算する旨を付記し、納付すべき本税の額二三万五六〇〇円及び賦課した過少申告加算税の額一万一七〇〇円を通知しており、重加算税は賦課していないことが認められる。

国税通則法による重加算税賦課の要件と法人税逋脱犯の構成要件とが似通つていることは所論のとおりであるが、税務署長が更正に際して行なう調査と捜査局が法人税逋脱犯についてなす捜査とでは、その収集する証拠の質、量において差異が存するのであるから、構成要件該当事実の存否につき両者の判断がつねに一致すべき必然性はない。刑事事件の処理においては、当然のことながら、公判廷に顕出された証拠によつて、構成要件該当事実が合理的な疑いを容れない程度に立証されているか否かを判断すべきであり、かつ、これを以て足りるのであつて、税務署長がその独自の調査結果に基づき重加算税の賦課要件がないとした判断が、裁判所の事実認定を拘束すべきいわれはない。

本件における構成要件該当事実は、「売上の一部を除外して簿外預金等を設定するなどの方法により所得を秘匿したうえ、」実際所得金額、法人税額より過少の「虚偽の法人税確定申告書を提出し」たこと、すなわち、事前の所得秘匿行為を伴う虚偽過少申告行為によつて被告会社の昭和四八年三月期の法人税額を免れたというのである。

そこで、所論期末棚卸商品(損益計算上の勘定科目としては、期末商品棚卸高である。)計上洩れ分及び広告宣伝費期ずれ計上分(期間帰属の誤り)のそれぞれにつき、虚偽過少申告行為の存否を判断することとする。

二 まず、「<4>期末商品棚卸高」につき検討する。前掲各証拠によれば、次の事実が認められる。すなわち、

1 被告人小林信夫は、被告会社で販売する絵画につき売上の都度、その仕入、売上を公表計上するか簿外扱いとするかにつき従業員の山岸こと杉沢三穂(同被告人の先妻小林こと杉沢三八の実妹)に指示し、三穂は、右指示に従い、仕入販売帳(符10号大学ノート)の備考欄に公表計上分については「(帳)」と記載して区別し、昭和四七年一二月末三穂が退職して後は、小林昭夫(同被告人の実兄)が右事務を引継ぎ、同被告人の指示に従い、仕入販売帳(符11号黒表紙ノート)に「<オ>」(表の意味)、「<ウ>」(裏の意味)の符号を記載して区別していた。

2 同被告人が公表、簿外を決定するのは売上の段階であり、その区別の基準としては、顧客から「裏にして欲しい」旨の要求を受けたものは必ず、また、現金で売上げたものは顧客から「表にして欲しい」旨の要求がない限り原則として、これを簿外扱いとするというものであり、売上を簿外とした場合には当然その仕入も簿外扱いとしていた(以上、第八回公判調書中証人小林昭夫、第一一回公判調書中証人杉沢三穂、第一二回公判調書中証人佐藤造の供述記載部分並びに前掲乙10、乙13及び符10、11号等)。

3 三穂、昭夫らが記帳していたのは、前記各仕入販売帳及び領収証等によつて作成する現金出納帳のみであり、伝票類は被告人佐藤造の友人である加藤耕造が作成したものが一部あるほかは不備であつたところ、昭和四八年五月初ころから、右仕入販売帳等に基づき、公表計上分についてのみ、前記昭夫において銀行勘定帳(符7号)を、被告人佐藤造において入出金伝票、振替伝票、金銭出納帳(符6号)、仕入売上元帳(符9号)、経費明細帳(符8号)、総勘定元帳(符5号)をそれぞれ作成したが、被告人小林信夫も両名の記帳作業を見て承知していた。

4 昭和四八年五月三〇日午後六時ころから、被告会社において、被告人両名、昭夫、被告人佐藤造の日本農産工業当時の部下菅澤芳雄、その友人の田端満らは、被告会社の昭和四八年三月期の確定申告書及び決算書類作成の作業にかかつたが、意外に長時間を要する見込となつたため、同日午後一〇時過ころ、昭夫を除く四名は銀座東急ホテルに場所を移し、翌三一日午前四時ころまでかかつて作業を終つた。主として作業に従事したのは前記菅澤、田端の両名であるが、被告人小林信夫は終始その場に付添つて作業の成行を見守つており、同人らに対し、作業開始に際し、仕入、売上を実際より少なく計上してある旨の被告人佐藤造の説明に続いて、「これからは絵も今までのようには売れないのだから、そこのところを承知して出来るだけ税金を払わないで済ませるようにうまく頼みますよ」と申し向け、確定申告書完成時にも、税額を説明されて「もつと税金を安く出来ないかなあ」等と述べていた。また、菅澤、田端らは作業の過程で、売上と入金が合わなかつたり、売掛金に不明なものがあつたりするが、期末在庫で調整して数字を合せておく旨述べており、これに対し、被告人両名は「何とか辻褄が合うようにうまくやつて下さい」と慫慂していた(以上、前掲小林昭夫、佐藤造の各供述記載部分並びに甲(一)12ないし14及び乙13ないし15、符1号、符5ないし9号等)。

右認定事実によれば、被告人小林信夫は、本件確定申告をなすに際し、申告にかかる売上、仕入額が実際より過少であり、従つてその当然の結果として期末商品棚卸高も虚偽過少であることを熟知のうえ、法人税を免れる目的でことさらに虚偽過少申告に及んだものであることが明らかであり、所論期末棚卸商品計上洩れ分が逋脱所得の一部を構成することはいささかも疑問の余地がない。

三 次に、「<11>広告宣伝費」につき検討する。

押収にかかる被告会社の経費明細帳(符8号)によれば、当期の最終日である昭和四八年三月三一日付の支出として「実業之日本社週刊小説広告料一二〇万円」が計上されているところ、前掲京橋税務署長作成の更正通知書(符2号のうち)、検察官作成の電話聴取書(甲(一)73)、被告人佐藤造の検察官に対する昭和五〇年四月二日付供述調書(七)項(乙20、証拠書類綴-以下「証」と略称する-第六冊一一七〇丁裏)を総合すれば、右一二〇万円のうち更正にかかる二〇万円については、これを翌期に帰属する費用と解するのが相当である。

しかしながら、右二〇万円は、前記一二〇万円の一部として期中に現実に支出され、経費明細帳に記載されていたものであつて、確定申告書等の作成に当つた前記菅澤芳雄、田端満らにおいて、その一部に税法上前払費用として翌期に帰属せしむべき分が含まれていることなど知る由もなく(本件の広告媒体は週刊誌であるから、広告塔、野立看板の如く、性質上前払費用の存在を通常推測させるべき継続的広告とはいえず、また、税務上の運用としても、翌期に亘る分が多額でなければ、そこまで詳細な経理は必ずしも要求されない実情に徴しても、同人らが前払費用分が含まれていないことの確認を怠つたとしても、あながちこれを咎め得ないものがある。)、従つて、同人らにおいて、被告会社の実際所得額をことさらに過少にする目的で架空の費用を計上したものと認められないのは勿論のこと、被告人小林信夫、同佐藤造らにおいて、菅澤らが翌期に属すべき費用を過つて当期に計上している事情を知りながら、法人税を逋脱する意図の下に、これを奇貨として虚偽過少申告行為に及んだものと認めるに足りる証拠もない。被告人らにおいて売上除外に伴う売上高、仕入高、期末商品棚卸高等についての虚偽過少の認識のあつたことは前示のとおりであるが、広告宣伝費の如きは、これらと全く関連を有しない別個独立の科目であるから、前者につき逋脱の意図が認められるからといつて、直ちに後者についても逋脱の意図ありとなし得ないのは自明の理である。結果的に過少申告となつたとしても、それが逋脱の意図を以てことさらになされたものでない限り、虚偽過少申告行為とは認められないから、本件広告宣伝費については、犯罪の実行行為の存在の証明が不十分であることに帰する。従つて、本件二〇万円は逋脱所得の一部を構成しない。

第二被告会社設立登記前の営業損益の帰属(「<1>売上高」及び「<3>商品仕入高」勘定)について

一 被告人小林信夫らの弁護人は、被告会社設立登記(昭和四七年四月二一日)前である同年三月一七日丸井に対し売上げ、同年四月一四日入金のあつた左記五点の売上計六九万円及びこれに対応する仕入計二一万円(公表計上は四二万円)は、被告会社の損益に帰属させるべきではないから、いずれも「<1>売上高」及び「<3>商品仕入高」から除外すべきであると主張する(弁(法)第三の一、同二の(一)、別紙2)。

<省略>

(注) 「No.」は検察事務官跡部敏雄作成の報告書(甲(一)46、証第四冊四四六丁)記載の整理番号による。

二 これに対し、検察官は、「一般に会社が設立登記前事実上営業を開始しその登記前に生じた損益が実際上会社に帰属せしめられたときは特に弊害のない限り当該会社の第一回事業年度の損益に算入しこれに法人税を課することは徴税上妥当な措置である」旨の高松高裁昭和二五年一二月二七日判決を引用し、被告会社の設立に至る経緯を概観したうえ、「本件取引は、被告人両名の共同事業体が出来上つてのち会社設立の手続がとられるまでの間の事実上営業が開始された時点に行われたものである」のみならず、「被告会社において本件取引を公表帳簿に計上し、かつ右の期間中に被告人両名が出捐した株式払込金を除く右諸費用もまた創業費もしくは保証金として公表計上して、昭和四八年三月期の損益に帰属せしめ、納税申告に及んでいるのであるから、この取引は被告会社に帰属するものと認めるのが相当である」旨論じている(論告要旨第一の二の1、同2の(一))。

三 思うに、設立中の会社のため発起人のなした営業取引が、商法上、設立後の会社に効果を及ぼすか否かにかかわりなく、税法上、課税物件の帰属に関しては、租税公平負担の見地から、実質所得者課税の原則(法人税法一一条、所得税法一二条等)が働くこととなるから、一般論としては、所論引用の判例の説示するところは(当時は、前記法条の創設前)、まことに当然の事理となさざるを得ない。しかし、それは、あくまで設立中の会社が右判例の設示する如く「事実上営業を開始しその登記前に生じた損益が実際上会社に帰属せしめられた」という実体の存することを前提として、はじめてそう言えることである(弁護人の指摘するように、右判例の事案においても、かかる実体の不存在を理由に、会社への帰属は否定されている。)。その意味で、「法人が事実上営業をしていたかどうか、そして小林がなした丸井の売上は事実上個人の営業として認められるかどうかがポイントである」旨の弁護人の所論(弁(法)第三の一の(一)末段)は、正鵠を射るものと評すべきである。

ところで、検察官が本件取引が設立中の被告会社に帰属することの理由として掲げる事項のうち、被告人両名が設立期間中に出捐した諸費用(株式払込金を除く。)を公表計上して被告会社の第一期の損益に帰属せしめているとの点は、これらの諸費用はその支出の目的から見て「会社ノ負担ニ帰スベキ設立費用」(商法一六八条一項七号)に属するものであつて、変態設立事項として被告会社の原始定款(符3号のうち)に記載されていない点で商法上若干の疑義は残すにせよ、税法上これを被告会社の損益に帰属せしめることに何らの問題はなく、逆に、これら設立費用が被告会社の損益に帰属することの故を以て同期間中に被告人個人のなした営業取引上の損益まで被告会社に帰属することの証左となすに由ないところであるから、論拠の一つに数えること自体が不適切である。また、被告会社(具体的には被告人佐藤造)が本件取引を公表計上して第一期の損益に帰属せしめているとの点は、一つの判断材料として考慮に値するところではあるが、それ自体で決め手となるべき性質のものではない(所論引用の前記判例の事案においても、税務署係官の指導に基づき会社の損益に公表計上した分につき、会社への帰属が否定されている。)。

してみれば、さきに引用した検察官の所論中後段の部分は、いずれも論拠とするに値しないか論拠としては不十分に帰するから、問題は、証拠上、所論前段の部分、すなわち、本件取引は、被告人両名の共同事業体(個人の共同事業ということもあり得るから、所論の言わんとするところは、設立中の会社の実体を具えた事業体の趣旨と解される。)が成立し、事実上営業を開始した時点において(同事業体の行為として)行なわれたとの事実を認め得るか否かに存することとなる。

四 検察官は、証拠上認められる被告会社の設立に至る経緯として、<イ>から<タ>まで一六項目に及ぶ事実(うち、<ヨ>、<タ>は設立後開業に至る経緯)を列記している。

右のうち、<イ>の前段、すなわち「昭和四六年暮から翌四七年一月初旬にかけて、被告人両名が共同で画廊を経営することに意見の一致をみ」たとの点は、概ねそのとおりであるが、後段の「そのため両名同額の出資による株式会社を設立して被告人小林が代表取締役社長、被告人佐藤が代表取締役専務に就任することを決定」したという点は、事実に反する。すなわち、この時点では被告人両名の共同事業体を株式会社組織とするという話はまだ出ていないのであつて、被告人佐藤造の供述によれば、同被告人が日本農産工を退職した後の同年三月に入つてから、画家の葛西四雄方で被告人小林信夫と待合せた際、葛西の作品を邱永漢方に届けて戻つて来た同被告人が「佐藤君、今度やる三千画廊は会社にしなければいかんよ」と言つたので邱永漢に知恵を授かつて来たものと思い、参考書を買つて来て一ケ月位かかつて会社組織にする書類を整え、登記するようにした(公第三冊六二七丁)というのであり、被告人小林信夫の供述によれば、邱永漢の所へ行つて来て自分の方から会社組織にすると言つたことはない、会社組織にする話が出たのは、被告人佐藤造の退職後であつたことは間違いなく、同年四月上旬ころ同被告人から会社にした方が交際費が認められて経理的に良いという話があつて賛成した(公第四冊八九四丁ないし九〇一丁裏)というのであり、両名の言い分は、一部に喰違いがあるものの、会社組織にする話が出たのが被告人佐藤造の退職後であるとする点では一致している。同年一月上旬の時点で被告人小林信夫が自分を社長にして欲しいと述べた事実は認められるが(判示冒頭部分参照)、それは会社組織を前提にした発言とは解されない(個人営業であつても、「社長」という呼称はあり得る。)。

従つて、検察官の列記事項のうち、同年三月以前に被告会社の設立を前提とした行為がなされたかの如き記載はいずれも事実に反するものである。具体的には、<ニ>の二月二日「株式会社三千画廊」の商号登記手続、<ホ>のそのころ被告会社の印鑑類、被告人両名の前記肩書入りの名刺作成、<ヘ>の同月五日被告会社名義での電話加入権の譲受、架設手続等がそれであり、検察官援用にかかる貸借対照表等一袋(符22号)在中の証憑書類を精査しても、「三千画廊」の名称を用いた形跡は存するが、「株式会社三千画廊」の商号は一切見出すことができない。弁11号証の被告人佐藤造の名刺(証第三冊六七二丁)にも、「三千画廊」の記載はあるが、株式会社とか役員の肩書の表示は見当らない。

その余の検察官主張の事実経過は概ねそのとおり認められるが、右<イ>ないし<オ>(<ワ>は株式払込、<カ>は設立登記)を通観しても、その殆どは、会社組織を前提としない被告人両名の共同事業体の開業(<イ>ないし<ト>)または被告会社の設立(<リ>、<ヌ>)の準備行為としての店舗の借受、内装工事、電話架設、什器備品の整備に関する事項に尽きるのであつて、営業活動に属するものは、わずかに<チ>の三月中旬同業の示現会展の目録への広告掲載、<リ>の同月一八日第一勧業銀行銀座通支店における「三千画廊小林信夫」なる個人名義の口座設定、<オ>の四月一四日丸井から同口座への本件販売代金の入金事実のみである。なお、検察官の主張にもかかわらず、右<チ>の広告に被告会社の名義を用いたか否かは証拠上明らかでなく、また、その広告内容がたとえば画廊オープンの予告に過ぎないものか、具体的な営業活動を示すものかも明らかにされていない。また、右<リ>、<オ>の事実は、まさに争点そのものであつて、争点に対する判断の資料とするに適さない。

結局、検察官の列記する被告会社の設立に至る経緯からは、検察官所論前段のような結論は軽々に抽き出すことはできないこととなる。

五 一般に、新たに事業を開始するために法人を設立したような場合には、他に実質的な事業主体となるべきものがないのであるから、設立前に行なわれた取引(当然のことながら、法律的には個人名義が用いられている。)であつても、これを設立中の法人の行為と認めることが比較的容易であるのに反し、従来から個人営業として行なつて来た事業につきこれを法人組織に改めるいわゆる「法人成り」のケースにあつては、設立前に行なわれた取引につき、これを個人営業と設立中の法人の営業とに分別することは困難であり、いやしくもこれを実質的に見て取引名義とは異る設立中の法人の営業であると断ずるについては、それなりの明確な根拠を要するものと言うべきである。

本件の場合、被告人小林信夫が昭和四〇年ころから「大阪三千画廊」の名称で個人営業としての画商を営んでおり、昭和画廊に店員として勤務するようになつてからも、同画廊とは別個に、右個人営業を継続して被告会社設立に至つたものであることは、判示冒頭部分において既に認定したとおりである。そして、同被告人は、この間一時的に前記レストラン「ジロー」の二階を常設展示場として借受けたことがあるほかは、特定の画廊または展示場等の店舗を持たず、いわゆる「風呂敷画商」として顧客を廻つていたのであり、昭和四六年夏ころから同四七年春ころにかけての同被告人の営業活動の一端を示すものとして、弁38号証の1ないし17の請求書が提出されている(証第六冊一二一〇丁ないし一二二六丁)。これらの請求書の一部には、代金の振込先として富士銀行駒込支店口座番号五〇九八七四の小林信夫名義普通預金口座を指定しているもの(同号証の12、15、17)が含まれていることからも、これらの取引が同被告人個人の営業活動であることは明らかであり、また、右のうち最終の日付のものは同四七年三月三一日付(同号証の17)となつているから、少くともそのころまでは、同被告人個人の営業活動が継続されていたものと認められる。

右のような事情に鑑みるときは、同年三月中旬に同被告人のなした本件各取引は、会社設立後の「画廊」による販売とは業態も異なり、反対に解すべき特段の事情のない限りは、これを同被告人個人の営業活動と認めるのが相当である。この点に関連して、(一)本件各取引の売上代金が右富士銀行駒込支店の口座にではなく、同月一八日同被告人が第一勧業銀行銀座通支店に新たに「三千画廊小林信夫」名義で開設し(口座番号二四〇九〇〇)、被告会社設立後は同社の預金口座としても利用され、同年七月二九日解約されて被告会社名義の口座(口座番号二六九五三四)に引継がれた普通預金口座(甲(一)45、とくに証第二冊三一五丁、三一三丁)に入金されている点(前掲検察官所論<リ>、<オ>参照)及び(二)同年一月初旬に被告人両名の間で共同事業を営むことに意見の一致を見てから後は、被告人小林信夫個人の営業というものはなく、少なくとも同佐藤造との共同事業ではないかとの点(公第三冊六三五丁裏証人佐藤造の供述)が若干問題となるが、右(一)の点は、問題の口座は「三千画廊」という呼称を冠しているとはいえ、もともと被告人小林信夫の個人名義の口座であり、同被告人個人のための預金の出入もしていること(後述)に照らし、また、右(二)の点は、被告人両名の意図したのはあくまで「画廊」の共同経営であつて、店舗を持たない風呂敷画商としてのそれではないから、同年五月三日蟹睦会館ビルデイング内に画廊がオープンするまでは、その開業準備行為はあつても、画廊としての営業はあり得ないことに照らし、いずれも、本件取引が被告人小林信夫の個人営業ではないと解すべき特段の事情とするに由ないところである。さらに、(三)検察官の言及している同被告人が本件取引の譲渡益を個人所得として納税申告していない事実が損益の帰属問題と無関係であることは、弁護人の指摘をまつまでもないところである。

却つて、本件取引が被告人小林信夫個人の営業であることを裏付ける事実としては、(ア)同被告人が同年四月一九日、前記普通預金口座に振込まれていた本件売上代金六九万円を引出して被告会社に対する自己の株式払込金の一部に充当していること(検察官は、これを同被告人の被告会社からの借入金と構成しようとするかの如くであるが、設立中の会社から株式払込金相当額の借入を起こす等ということは考えられないのであつて、本文のような処理をしていること自体、同被告人が右売上金を自己に帰属するものとして扱つていた証左である。)、(イ)被告会社の定款によれば、同社の営業年度は毎年四月一日から翌年三月三一日までとされているところ、被告会社が設立されたのは同年四月二一日であるから、その第一事業年度の開始は同日であつて(設立中の会社の営業活動の存在を肯認するとしても、事業年度の開始を期末から一年をこえて同年三月三一日以前とすることは、定款上も法律上も許されない。)、本件取引による損益の発生は被告会社の第一事業年度より前の期に属することとなり、結局被告会社の損益に計上することは不可能であることを挙げることができる。

以上を綜合すれば、本件取引は被告人小林信夫個人の営業活動と認めるのが相当であるから、被告会社の「<1>売上高」及び「<3>商品仕入高」勘定から、それぞれ弁護人主張額を除外することとする。

六 以上とは別個の問題であるが、被告人小林信夫は、第一八回公判調書中同被告人の供述速記録末尾添付の上申書(公第四冊一〇四二丁以下)において、同被告人は、三千画廊のオープン後、同被告人がオープン前に個人で仕入れ、代金支払ずみの絵画約九三点及び略々同数の額縁を同画廊に随時持込んで販売し(昭和四八年三月期中に売上げたものは五一点)、被告会社の売上、仕入として表帳簿、裏帳簿に計上したが、同被告人としては、被告会社即同被告人個人という考えであつたため、被告会社から右仕入代金を受領していない旨、供述しているので、便宜右の点に関する判断をここに附記することとする。

三千画廊のオープンに際し、被告人両名がそれぞれ手持の絵画を拠出した事実は認められるが(符21号中「作品立替分」と題する書面)、右はいずれも精算ずみであるから、所論のような絵画等があつたものとすれば、それ以外の分である。

主張自体から明らかなように、これらについては、公表、実際とも被告会社の売上、仕入として記帳されていることになるので、被告会社において被告人小林信夫から同人の支出したと同一価格で仕入れ、被告会社の棚卸商品として販売したものと考えるべきである。そして、仕入、売上及び期末在庫が正確に記帳されている以上、被告会社の損益計算上は何ら問題となるところがない。被告人小林信夫が被告会社から仕入代金の支払を受けていないとしても、それは、被告会社の貸借対照表上「買掛金」勘定に計上すべきであるということになるだけであつて、損益計算上の「仕入」勘定には何ら変動を生じないから、損益計算によつて被告会社の所得金額を算定するに当つては、顧慮する必要のないことがらである。弁護人も、この点に関しては何らの主張をなしていないのであるから、これ以上判断の要を見ない。

第三その余の「<3>商品仕入高」勘定について

被告人小林信夫らの弁護人は、検察事務官跡部敏夫作成の報告書(甲(一)46、証第四冊)に仕入金額の記載のない絵画四点すなわちNo.533今村昭寛作「南フランス風景」六号(四四九丁)については一万二〇〇〇円で、No.534同人作「花」八号(四六六丁)については一万六〇〇〇円で、No.797坂本(「坂元」の誤記と認める。)淑晃作「女」三〇号(四五〇丁)については六万円で、No.436長宗希佳作「時計」SM(四九七丁)については六〇〇〇円で、それぞれ仕入れたものであるから、合計九万四〇〇〇円を「<3>商品仕入高」に加算すべきであると主張し(弁(法)第三の二の(二)、同別紙2)、同被告人も第二〇回公判期日において右に副う供述をしている(公判記録-以下「公」と略称する-第五冊一二三六丁ないし一二三八丁)。

これに対し、被告人佐藤造は、第二三回公判期日において、これらはオープンのお祝とか作品を業界紙で宣伝したことの謝礼として作家から無料で貰つたものである旨供述している(公第六冊一五〇四丁裏)。

以上を対比して見ると、被告人小林信夫の供述は、仕入金額を支払つた具体的記憶に基づくものではなく、仕入時期と作家名から一号あたり二〇〇〇円あるいは三〇〇〇円として号数(SMは二号)を乗じて算出した金額を述べているに過ぎないのに対し、被告人佐藤造の供述は、客観的な証拠物によつて裏付けられるものであつて、高度の信用性を有するものと言うべきである。すなわち、杉沢三穂が実際の仕入、販売をその都度記帳していた前掲仕入販売帳(符10号)によれば、右四点以外にも仕入金額の記載のないものがあるが、それらは単に同欄を空欄としているに過ぎないのに対し、右四点についてはいずれも同欄に短い横線を記入して仕入金額が零であることを明示してあり、No.533(五月一日仕入)、No.797(五月三日仕入)、No.436(五月三日仕入)には備考欄にそれぞれ「祝」と、No.534(四月二一日仕入)には同欄に「紙上紹介用」との記載がなされており、被告人佐藤造の供述と合致している。三千画廊がオープンしたのは昭和四七年五月三日であるから、右「祝」の記載が同画廊のオープン祝の趣旨であることは、その仕入日時から明白である。以上に反する被告人小林信夫の前記供述は到底措信するに足りず、他に所論を裏付ける証拠はない。

第四その余の「<4>期末商品棚卸高」勘定について

被告人小林信夫らの弁護人は、検察事務官跡部敏夫作成の報告書(甲(一)46)記載のNo.914小川芋銭画伯(甲(一)46に「小川守銭」符11号に「小川宇銭」とそれぞれ記載してあるのは、いずれも誤記と認める。)の作品(無題、号数不明。昭和四八年二月七日仕入)は贋作で無価値なものであることが判明したから、「<4>期末商品棚卸高」勘定からその仕入価格三〇万円(同「二〇万円」の誤記と認める。)を除外すべきである旨主張する(弁(法)第三の三)。

ところで、「<3>商品仕入高」勘定に仕入価格を計上したまま、「<4>期末商品棚卸高」勘定から主張額を減算するのは、評価損を計上したのと同一の結果となる(そうでなければ、仕入れた商品が売上げられてもいないのに期末在庫から消えてしまうことになり、不合理である。)。そして、本件の場合、税法上評価損の計上が許される場合に当らないことについては、検察官が指摘し、弁護人もまたこれを自認するとおりである。従つて、「<4>期末商品棚卸高」から所論の減算をしようというのであれば、「<3>商品仕入高」からも同額を減算する必要があり、その方法としては、弁護人の主張するように、仕入勘定から雑損失勘定に振替を行なうしかない(弁護人は仕入勘定を動かすことまでは主張していないが、理論的には本文のように処理すべきものであるから、修正損益計算書上の「<3>商品仕入高」勘定欄をそのままにしておく場合には、同欄には、本来の仕入勘定に属する金額と雑損失勘定に計上すべき金額が合算計上され、便宜「商品仕入高」という科目名を付しているに過ぎないこととなる。)。

そうだとすれば、商品の仕入として取引がなされ、現実に仕入代金が支払われ、かつ、被告会社の会計処理上も、実際仕入高を記載した裏帳簿(符11号)に仕入として記帳されているものにつき、それが仕入であることを否認し、他の取引(たとえば、詐欺被害)の発生を認容しようとするに帰着するから、右取引及び会計処理を覆えすに足りるだけの強い反証が必要である。

そこで、証拠を検討すると、被告人小林信夫は捜査段階においては何らこのような主張をなしておらず(乙10、11)、公判段階に至つてにわかに主張し始めたものであるところ、その公判延供述は、前掲甲(一)46記載のNo.914の欄(証第四冊五三四丁)を示しての弁護人の問に対し

問 この絵は、この表の上では二〇万円で買つたように記載されていますが、これはお金は払つたんですか。

答 払いました。

問 この絵は実際はどうだったんですか。

答 物故作家というのは、大体八割くらいまでにせものが多いんですけれども、本物かと思って、その頃はお金も余裕がありましたので、買つたんですけれども、案の定、にせものだつたんです。

問 そうすると、二〇万円払つたけれども、実際はそれだけの価値がないということですね。

答 はい。

というに尽きる(公第五冊一二三八丁表裏)。

してみると、同被告人は、当初から贋作である可能性を充分考慮したうえで、余裕金を利用して投機的買物をしたような節も窺われるし、そうでなく、真作であることを信じて購入したものとしても、いつ、どのような契機から、また、どのような根拠で贋作と判断するに至つたものであるか甚だあいまいであり、売主が贋作であることを認めているのか否かも判然せず、さらに、真作と信じて贋作を掴まされた者なら当然にするであろう警察への被害届の提出とか売主に対する損害賠償請求等の挙に出た形跡も全く窺われない(かかる対外的行動のみならず、被告会社の内部処理としても、仕入から抹消する等の帳簿処理も行なわれていない。)。しかも、その絵はその後盗難に遭つて現存しない(同一二三八丁裏)というのであつて(この点についても、被害日時、被害届提出の有無、被害金額をどうしたか等一切不明である。)、供述全体として甚だ漠然として信用性に乏しく、到底前記取引及びこれについての被告会社の会計処理を覆えすに由ないものといわざるを得ない。他に所論を肯認するに足る証拠はないから、所論は理由がない。

第五「<5>役員報酬」及び「<29>損金不算入役員賞与」勘定について

一 「<5>役員報酬」勘定中、(ア)被告人小林信夫、同佐藤造に対する簿外役員報酬として昭和四七年五月以降一二月まで各月各自四万円宛、同四八年一月以降三月まで各月各自九万円宛計一一八万円、(イ)右両名に対する簿外役員賞与として昭和四七年七月に各自三〇万円宛、同年一二月に各自五〇万円宛計一六〇万円、以上合計二七八万円が支払われていることは、前掲各証拠に照らし明らかであつて、弁護人らも争わないところである。

ところで、検察官は、右のほかに、(ウ)昭和四七年一〇月と一一月の二回に亘り、被告人両名に対し、各四五〇万円宛合計九〇〇万円の簿外役員賞与の支給がなされている旨主張し(論告要旨第一の二の4)、被告人小林信夫らの弁護人は、極力右事実を否定している(弁(法)第三の四。被告人小林信夫の弁護人原後山治他三名作成提出にかかる業務上横領被告事件に関する弁論要旨-以下「弁(業)」と略称する-第二の一の(二)の1ないし7)。

そこで、右九〇〇万円の支給事実の有無につき、以下に検討する。

二 検察官の主張にもかかわらず、被告人両名が各四五〇万円丁度の金額を受領したことの立証は尽くされていない。

ただ、被告人佐藤造は、相被告人小林信夫から、昭和四七年一〇月四日に三五四万八〇〇〇円、同年一一月上旬に一〇〇万円の二口合計四五四万八〇〇〇円の支給を受けたが、その際被告人小林信夫も略々これと同額を手中にした旨述べており、検察官主張の九〇〇万円は、右佐藤の供述を根拠とするかの如くであるから、かかる事実の有無(被告人佐藤造が前記三五四万八〇〇〇円の支給を受けた事実を除くその余の事実については、その存否が争われている。)及びその法律上の性質(主として右三五四万八〇〇〇円について)を吟味する必要がある。

1 被告人両名の各供述(証人としての供述及び公判調書中の供述記載部分を含め、単に「供述」と称することがある。以下同じ。)、証人杉沢三穂の供述、弁護人提出の佐藤造の名刺(後記書込のあるもの。弁第一一号証。なお弁第二〇号証もこれと同一物)、株式会社第一勧業銀行銀座通支店(以下「一勧/銀座通」と略称することがある。他の銀行支店についても同じ。)作成の捜査関係事項照会回答書(甲(一)45、とくに証第二冊三一七丁参照)等を綜合すれば、昭和四七年一〇月四日被告人小林信夫から同佐藤造に対し三五四万八〇〇〇円が支払われ、同被告人はこれに手持現金を加えて三八〇万円としたうえ、杉沢三穂に依頼して一勧/銀座通の佐藤造名義の普通預金口座(口座番号二三七三六五)に即日預入れたことが認められる。前記佐藤名刺には、被告人佐藤造の筆跡で、

<省略>

との記載があり、右記載金額中(ア)二一万円は前記蟹睦会館ビルデイングを賃借するに際し仲介した京橋不動産に対する手数料の額と、また、(イ)合計三三三万八〇〇〇円というのは、同ビルデイング賃借の保証金五〇〇万八〇〇〇円のうち、第二回支払分一六七万円、第三回支払分一六六万八〇〇〇円の合計金額と、それぞれ一致する。すなわち、右三五四万八〇〇〇円の内訳は、蟹睦会館ビルデイング借用のための手数料と保証金の一部であり、被告人佐藤造がこれを出捐していたため(後記のように、被告人小林信夫はその一部を強く否認している。)、右出捐分に見合う金額の支払がなされたものと一応推認される。

2 この点に関し、被告人佐藤造は、昭和四七年一〇月ころは予想以上に売上が伸び、利益も上つて来たが、そのころ、被告人小林信夫から資金も潤訳になつたし、見通しも明るいので、この辺で一応お互いの今までの投資分を回収しておいた方が何かといいだろうという提案があつたので賛成した、それまで被告会社のために被告人両名が支出した分としては、資本金各自一五〇万円、被告会社に対する貸付金各自三〇〇万円の合計九〇〇万円があるので、一〇月と一一月の二回に亘り各自四五〇万円ずつ回収することとした(公第三冊六六〇丁裏以下)というのであるが、被告人佐藤造が自ら認めているように、被告会社に対する貸付金は被告人両名が各自三〇〇万円ということで記帳されてはいるものの(符5号総勘定元帳中借入金欄、符8号経費明細帳中支払利息欄等)、両名が現実に被告会社のために出捐した金額には過不足があつた(被告人佐藤造は八四万四九九八円過払、同小林信夫は一一四万五五一〇円不足、公第三冊七六〇丁裏以下)というのであるから、右供述中各自の回収額が四五〇万円宛という点はにわかに措信するを得ない。前掲杉沢三穂の供述をも勘案すれば、むしろこの席ではもつぱら被告人佐藤造がそれまでに被告会社のため出捐した金額中回収未了のものがどれだけ残つているかが問題となり、同被告人が前記のような計算関係を示したため、右金額に見合う分の支払がなされたものと認めるのが相当である。一方、被告人小林信夫に関しては、この席で出捐分の計算をした形跡もなければ、回収金を支出した原資関係の裏付も明らかにされていない。もとより、同被告人としても、従前の出捐分をこの際回収しておこうという意図があり、前記のような提案をしたものとしても、被告会社の現金、預金を個人の分と区別せず一手に管理する立場にある以上、回収分を現金化して現実に手中にする必要はなく、自己の管理する金員のうち、相当額を自己の自由にできる金額と観念するだけで足りることであるから、同被告人も席上被告人佐藤造と略々同額を実際に手中にした旨の被告人佐藤造の供述(公第三冊七四二丁)は、措信できない。

3 そこで、被告人佐藤造に対して支払われた三五四万八〇〇〇円の性質を解明すべきこととなる。さきに見たように、右金額は、被告会社の設立に際し同被告人が出捐した金額のうち回収未了の分と見てよさそうである。

ところが、被告人小林信夫は、一方では、右金額の支払は被告人佐藤造からの借入金の返済であつて利益の配分(簿外役員賞与)ではないと強調しつつ、他方では、右三五四万八〇〇〇円のうち第三回ビル保証金一六六万八〇〇〇円は、同被告人が出捐したものではなく、被告会社の一勧/銀座通の当座預金を引出して支払に充てたものであると主張する。この一見奇怪な主張は、被告人小林信夫が、同年一一月初旬の一〇〇万円の支給を否認し、同佐藤造に対する支給額は右三五四万八〇〇〇円以外にはないとの立場を維持しつつ、業務上横領被告事件との関連において、右三五四万八〇〇〇円の中に同被告人の拠出した資本金相当額一五〇万円(被告人小林信夫は、これも同佐藤造からの個人的な借入金であると主張している。)をも含めたいためにほかならない。そうすると、右三五四万八〇〇〇円の性質を解明する前提として、第三回ビル保証金一六六万八〇〇〇円を誰が支払つたかを確定しなければならない。

4 関係証拠によれば、蟹睦会館ビルデイング賃借保証金五〇〇万八〇〇〇円のうち、第一回支払分一六七万円は昭和四七年一月一七日に被告人小林信夫が、第二回支払金一六七万円は同年二月二五日に同佐藤造が(原資は、同被告人の岳父大沢米次から同月一七日借入れた一七〇万円)、それぞれ支払つていることが明らかである(ちなみに、同被告人は、同年四月一二日に入金した日本農産工からの退職金一三六万八四一六円等を原資として、同月一九日資本金一五〇万円の払込をしている。)。以上は、関係者の供述のほか、一勧/銀座通の佐藤造名義の普通預金口座(口座番号二三七三六五。以下「佐藤口座」という。甲(一)45のうち、証第二冊三一七丁)の出入金状況によつて裏付けられる。

そして、問題の第三回支払分一六六万八〇〇〇円については、被告人佐藤造は、日本農産工時代の部下である石川清澄を通じ、同人の母石川ミチから借入れた二〇〇万円を原資として自ら支払つたものである旨供述し(公第三冊六二三丁以下、同六五九丁以下、同七三二丁裏以下、同七四七丁以下、同第四冊一一五二丁以下、同第五冊一三〇一丁以下、同一三四九丁以下等)、証人石川清澄も右と符合する供述をしている(公第五冊一二七三丁以下)。右二〇〇万円については佐藤口座に入金の記録が残されていないが、その間の事情は、被告人佐藤造らの供述によれば、右金員は石川の郷里で農業を営む石川ミチが埼玉県北葛飾郡鷲宮町所在の櫻田農業協同組合から借入を起したものであるが、支払期日が迫つていたため、石川清澄の妹が直接現金を持参して日本橋の地下鉄構内の喫茶店で同被告人に手交し、同被告人は直ちに銀座一丁目の喫茶店「ルノアール」で待機していた被告人小林信夫と落合い、その足で蟹睦会館ビルデイングに赴いて前記纐纈庄太郎に支払つたというのである。そして櫻田農協からの捜査関係事項照会回答書(甲(一)70、証第六冊一二六五丁)によれば、昭和四七年四月二四日、石川ミチに対し利率一〇・二五パーセント、償還期限同四八年一二月二〇日で二〇〇万円の証書貸付がなされ、同女名義の普通貯金口座に振込んだうえ即日払戻名下に埼玉銀行久喜支店の小切手で二〇〇万円の支払がなされていることが窺われる。してみれば、石川ミチが右小切手を入手したのは、第三回保証金の支払期日である同四七年四月二五日の前日のことであるから、これを現金化して被告人佐藤造に届けるために前記のような経過があつたということは、充分首肯できるところである。なお、その返済状況については、関係者の供述以外に、佐藤口座及び櫻田農協の入出金記録が残されており、右によれば、同被告人は、前記のとおり同年一〇月四日佐藤口座に三八〇万円を入金した直後の同月九日、同口座から二一〇万円を引出してこれを石川ミチに返済しており、石川ミチは櫻田農協に対し同月一七日元本一五〇万円、利息九万九四一〇円を、翌四八年四月二一日元本五〇万円、利息二万六一一四円をそれぞれ支払つていることが認められる。以上のとおり、被告人佐藤造らの前記供述は、入出金関係の裏付が充分であつて信憑性が高いものと言うべきである。

これに対し、被告人小林信夫は、被告会社の設立登記が終つた後の昭和四七年四月二五日、一勧/銀座通で別段預金とされていた被告会社の払込資本金を被告会社名義の当座預金口座(口座番号一一九四〇七、甲(一)45のうち、証第二冊二九二丁以下)に振替え、即日二五〇万円を引出し、これを第三回分のビル賃借保証金に充てた旨供述する(公第四冊八七五丁裏、同九〇七丁裏以下等)。たしかに、同口座から同日二五〇万円の現払がなされている事跡は窺われるが、右は一〇〇万円二口及び五〇万円一口の三口に分れているのであつて、一六六万八〇〇〇円という支払額があらかじめ分かつている場合の現金の調達方法としては異様であり、また、当日の蟹睦会館関係の支払額が右保証金及び五月分賃借料八万一三八〇円並びに京橋不動産に対する手数料二一万円の合計一九五万九三八〇円であつて、二〇〇万円に満たないことからすれば、右三口目の五〇万円は何の必要があつて引出したのか説明がつかないこととなる。同被告人自身、釈放後当座預金関係を調べて見て四月二五日に二五〇万円出ていることが分かり、前記のような公判供述をするに至つたものであり、そういうものを見るまではあまりはつきりしなかつた旨、自認しているのであつて(公第五冊一三八七丁裏以下)、前記供述は当時からの連続した記憶に基づくものではなく、後日の推測を交えてのものと考えざるを得ない。して見れば、右二五〇万円は、蟹睦会館関係以外の他の用途に充てられたものと見るべきである(弁護人は、検察官の主張する他の用途、とくに簿外預金の設定に関しては、他にその原資があることから不当であると論難するが、手持現金として保有することも可能であることからすれば、右の批判は当らない)。

さらに、弁護人は、被告人佐藤造が石川ミチから二〇〇万円を借用した事実が動かし難いと見るや、その使途につき、(ア)大沢米次に対する返済に充当した、(イ)日本農産工退職後被告会社から給料を貰うまでの間の同被告人の生活資金として費消した、(ウ)被告会社と無関係な同被告人の投機行為に利用した等の可能性を主張するが、いずれも弁護人独自の憶測に過ぎず、同被告人らの前記供述の信憑性を覆すに足りないものである。

以上の次第であるから、第三回分ビル賃借保証金一六六万八〇〇〇円は、被告人佐藤造が支払つたものと認めるのが相当である。

5 ここで本筋に戻つて、被告人佐藤造が受領した三五四万八〇〇〇円の性質を判断することとする。その内訳は、前に見たとおり、蟹睦会館ビルデイング賃借に伴う第二回、第三回分保証金及び仲介手数料として同被告人が支出した金額と一致する。ところで、被告人小林信夫は被告会社を設立するに際し(当初は会社組織にすることを明確に意図しては居なかつたが)、四-五〇〇万円から六〇〇万円位の資金を要するものと見ていたが、被告人佐藤造に対しては多い目に約一〇〇〇万円かかると話していた(公第四冊八五二丁以下)。被告人佐藤造はこれを信じ、被告会社の資本金の額を「三千画廊」の商号にちなんで三〇〇万円と決定した際、不足分の資金は被告人両名が各三〇〇万円ずつ会社に貸付け、資本金と合せて九〇〇万円で発足させることとし(公第三冊六二九丁以下等)、自己の負担すべき四五〇万円につき資金の手当をした。貸付金各三〇〇万円は、前記のとおり、公表帳簿等には一括記載したが、実際には同額を会社の預金に振込むようなことはせず、資金需要の都度被告人両名のうちどちらかが支払をなすことによりなし崩し的に貸付けていつたものであり、細かな立替分については時に返済を受けるようなこともあつて、昭和四七年一〇月四日の時点では、被告人佐藤造の支出した分として前記三五四万八〇〇〇円が残つていたのである。このように見てくると、同日右金額を同被告人に支払つたのは、それまでの立替金(帳簿上は借入金)を返済したものであるかのように見える。しかし、既に引用したように(前記2参照)被告人小林信夫が提案したのは、お互いの今までの投資分に見合う額を回収しておこうということであつて、資本金や借入金そのものを返済しようという話ではない(資本金を返還してしまえば、会社は存続しないこととなる。)。被告人小林信夫は、被告会社は全額自己の出資にかかるワンマン会社であつて、被告人佐藤造の被告会社に対する出資金や貸付金なるものは、すべて被告人小林信夫個人に対する貸付金であり、一〇月四日の支払はその個人的借金の返済である旨供述しているが(公第四冊九〇三丁以下)、そうだとすれば、被告会社が同被告人個人の債務を弁済すべきいわれはなく、仮りに同被告人に代つてその個人債務を弁済したものとすれば、被告会社から同被告人に対し同額の貸付が行なわれたこととならざるを得ないのにかかわらず、そのような経理処理が一切なされていないことに徴しても、右供述は到底措信するに足りないところである。そして、前記金額の支払が資本金の返還でないのはもとより、借入金の返済でもないことは、右借入金が期末現在なお存続し(符5号総勘定元帳)、期中の支払利息が計上されていること(符8号経費明細帳)からも明らかである。そうだとすれば、前記三五四万八〇〇〇円の支払は、業績が伸び、余剰資金を生じたことによる利益の配分(簿外役員賞与の支給)であり、夏冬の通常の簿外賞与と異り、支給額を被告人両名がそれまで現実に被告会社のために出捐した額に見合うものとしたため、端数を生ずることとなつたに過ぎないものと認めるのが相当である。ちなみに、弁護人は、被告人佐藤造も右三五四万八〇〇〇円は被告会社に対する貸付金の回収であることを自認した旨主張するが(弁(業)第二の一の(二)の6の(イ)末項)、第一八回公判廷における同被告人の供述(公第四冊一一四六丁裏)は、弁護人から執拗に法律論争を挑まれて混乱した挙句、現時点でどう解釈するかと問われての回答に過ぎず、右認定を左右するものではない。

以上の次第であるから、被告人佐藤造に対する三五四万八〇〇〇円の簿外役員賞与支給の事実は、これを肯認することができる。

三 被告人小林信夫も、同佐藤造に対し上記のような提案をして三五四万八〇〇〇円を支給している以上、被告会社のためにそれまで自己が出捐した分についても、その際それに見合う金額を回収しておこうとの意図であつたことは疑いなく、かつ、そのとおり実行した公算が大である。しかしながら、さきに見た如く(前記二の2参照)、被告人小林信夫は被告会社の現金、預金を一手に管理する立場にあつた関係で自己の取り分を現金、小切手等の形で現実に手中にする必要はなかつたのであり、また、実際にも、一〇月四日の時点でそのような授受がなされたことを裏付ける証拠はない。後日、同被告人において、自己の管理する被告会社の現金、預金の中から、自己の取り分に属すると思料する金額を自己の用途に支出するということはあり得るところであるが、その具体的事実、金額を証拠上特定することはできない。してみれば、同被告人に対する簿外役員賞与支給の事実に関しては、その証明が十分でないことに帰する。

四 次に、被告人佐藤造は、昭和四七年一一月初旬に投資分の残金として一〇〇万円の支給を受け、その際同小林信夫も同額を受取つた旨供述している(公第三冊六六一丁、同七五一丁、同七五四丁、同七六七丁、同七六九丁、同八一一丁裏以下、同第四冊一〇六三丁、同一一二〇丁裏以下等)。たしかに、前記佐藤口座には同月六日一〇〇万円入金の記録があり、右供述を裏付けるかの如くである。しかし、被告人らが回収しようとしたのが帳簿上の投資金額(資本金一五〇万円、貸付金三〇〇万円の計四五〇万円)ではなく、現実に出捐した金額(一〇月四日の時点ではそのような計算をしている。)であるとすれば、回収未了の金額は一〇〇万円ではなく一五〇万円でなければならない筋合いである。のみならず、被告人佐藤造は、第一三回公判廷において一勧/銀座通作成の第二東京弁護士会長あて回答書(弁第二三号証第三冊七三五丁)を示されるまでは、一貫して、右一〇〇万円は現金で受取つた、被告人小林信夫がソフアへ行きながら一〇〇万円の札束を胸のポケツトに入れるのをはつきり覚えている旨繰返し述べているのであるが、前掲弁第二三号証及び一勧/銀座通の昭和五二年一一月四日付捜査関係事項照会回答書(甲(一)69、証第六冊一二五八丁)によれば、右佐藤口座への入金は昭和四七年一一月四日一勧/銀座通支店長振出の額面一〇〇万円の預金小切手によつてなされていることが明らかである。しかも、被告会社の預金関係を精査しても右預金小切手取組の形跡は窺われず、また、売上関係(前掲甲(一)46)を見てもそのころ一〇〇万円の預金小切手による入金の事実は認められない。そうだとすれば、一〇〇万円を現金で受領した旨の前記佐藤供述は措信できず、仮りにその点が小切手で受領したとの記憶違いであるとしても、当該小切手を被告会社又は被告人小林信夫から受取つたとの確証は掴めないこととなる。また、被告人小林信夫が現金一〇〇万円を受取つたとの点も、前記佐藤供述が措信するに足りない以上、これを肯認するに足りる証拠はない。

従つて、同年一一月初旬の被告人両名に対する各一〇〇万円の簿外役員賞与支給の事実についても、証明不十分と言わなければならない。

なお、被告人佐藤造は、昭和四七年一二月上旬邱永漢に経理関係の相談に行く際収支状況を計算した書類や同四八年二月末に作成した試算表や損益計算書(符21号のうち)にも、九〇〇万円の利益配分をしたことを計上している旨供述するが(公第三冊六六九丁、同六七九丁)、そのような事実があつたとしても、それだけでは直ちに右九〇〇万円が現実に支出されたこととはならないので、前示認定を覆すに至らない。

五 結局、検察官の主張する簿外役員賞与九〇〇万円については、うち三五四万八〇〇〇円を認定すべく、その余については証明不十分に帰する。

ところで、右簿外役員賞与は、一応損金科目に計上されているので、その縮少認定と訴因との関係につき若干附言しておくこととする。

一般に、検察官の主張する損金科目につきその数額の全部又は一部が証拠上認められないときは、その分だけ逋脱所得金額が増加することになるのであるから、このような場合において検察官が従前の主張を維持し訴因変更を行なわないときは、裁判所は、訴因の拘束を受け、これを上回る逋脱所得金額の認定をなし得ない。そこで、かかる場合は、当該損金科目については証拠上認められる範囲で縮少認定を行なうとともに、そのことによつて逋脱所得金額の増加を来たすことのないよう、別途「訴因調整勘定」を設定して、右減額分に見合う数額を修正損益計算書の借方当期増減金額欄に計上する(これは、証拠と訴因との間のギヤツプを埋める操作としての調整勘定であるから、証拠による事実認定とは、性質を異にする。)のが、当裁判所の慣行である。この場合、検察官の冒頭陳述によつて特定された修正損益計算書記載の各勘定科目は、訴因に準ずる機能を有するものと考えられるから、たとえ全体としての訴因(逋脱所得金額)に増減を来たさない場合であつても、個々の勘定科目について上記のような問題を生じたときは、原則として右に準じ、当該科目につき冒頭陳述の訂正変更がなされない限り、調整勘定を設定するのが相当である。

しかしながら、右はあくまで一般論であつて、問題となる勘定科目の性質如何によつては、かかる操作を必要としない場合があり、本件簿外役員賞与の如きは、まさにその適例である。蓋し、役員賞与は、企業からの社外流出分として一応損金科目に計上されるものの、法人税法上損金算入が認められない結果、同額を益金加算されるのであつて、役員賞与勘定(本件の場合は、損金となる役員報酬と一括して「<5>役員報酬」勘定中に計上されている。)と損金不算入役員賞与勘定(本件では<29>)とはつねに連動し、一方が減額されれば他方もそれと同額だけ減少する関係にあるからである。従つて、本件簿外役員賞与につき、検察官主張金額の一部が証拠上認められないとしても、益金加算分である損金不算入役員賞与から同額を減算する結果、調整勘定の設定は必要ないこととなる。

同様のことは、「<3>商品仕入高」勘定についても言えるのであつて、さきに商品仕入高から減額した二一万円は、「<1>売上高」から減額した六九万円の原価を構成するものであるから(前記第二の一ないし五参照)、両者を一体のものとして増減させる限り、調整勘定設定の必要を見ないのである。

第六「<6>給料手当」勘定について

被告人小林信夫らの弁護人は、「<6>給料手当」勘定につき、公表分及び検察官の認容する簿外分のほかに、簿外のアルバイト料として、七戸こと小林文子分二五万円、石川真澄分一二万円を計上すべきであると主張する(弁(法)第三の五の(一)及び(三))。その算出根拠は、小林文子につき昭和四七年七月分から同年一二月分まで月五万円の割合による金額中公表計上されている同年九月分を除く五ケ月分、石川真澄につき昭和四七年一一月分から同四八年一月分まで月六万円の割合による金額中公表計上されている一一月分を除く二ケ月分というのである。

被告人小林信夫の第二〇回公判期日における供述にはこの点に触れた部分があるが(公第五冊一二五五丁裏ないし一二五九丁)、弁護人も援用を断念している如く、その供述内容はあいまいで客観的事実に反する点が多く、到底措信するを得ない。また、弁護人は七戸文子の検察官に対する昭和五〇年三月一二日付供述調書(甲(一)36、証五冊八五二丁)の記載を援用しているが、右は弁護人の不同意により被告会社及び被告人小林信夫の関係においては証拠とならないものであるから、かかる援用は不適法である。

そこで、押収にかかる諸給与支払内訳明細書(符13号)を検討すると、昭和四七年五月分から同四八年三月分までのアルバイト料に関する記載は、(一)九月分七戸文子五万円、(二)一一月分永野祐子五万円、(三)一二月分石川真澄四万五〇〇〇円、七戸文子一〇万円のみであり、経費明細帳(符8号)の給料手当勘定欄の数額(各月分の合計)も計算上これと符合する。そして、第一一回公判調書中証人杉沢三穂の供述記載部分によれば、永野、石川に支給したアルバイト料は給与台帳に載せてあり、裏で支給したものはない(公第三冊五六六丁)、七戸文子に裏でアルバイト料を渡したかどうか、それは知らない(同五六七丁裏)というのである。

次に、第一〇回公判調書中証人七戸こと小林文子の供述記載部分を検討すると、同人は、当初検察官の尋問に対しては、昭和四七年七月ころから二、三ケ月三千画廊にアルバイトに行つた、二五日の給料日に五万円ずつ二、三回貰つたことがある、冬のボーナスとして一ケ月分余計に貰つたことがある、二、三ケ月というのは七月から一二月までの間の二、三ケ月のことである旨(公第二冊四四三丁ないし四五〇丁)供述していたのに対し、弁護人の尋問に対しては、昭和四七年七月から一二月までの六ケ月間のうち服飾関係の仕事に行つていた二ケ月程三千画廊を休んだ、休んだのは九月と一〇月じやないかと思う旨(同四七〇丁ないし四七一丁裏)供述を変更し、検察官の再尋問に対しても三千画廊で通算四ケ月働き、ボーナス分を加えて二五万円貰つた計算になる旨(同四七二丁ないし四七四丁)述べている。しかし、右変更後の供述は、変更前の供述が三千画廊で稼働した期間を昭和四七年七月から一二月までの間の二、三ケ月という積極的な形で表現しているのに対し、同期間中服飾関係の仕事に従事した期間を除く残りの期間という消極的な言い方になつている点で、果して真実の記憶に基づく供述か単なる計算上の推論を述べたに過ぎないものか疑わしいというべきである(そもそも、休んだのは九月と一〇月の二ケ月じやないかと思う旨の供述-同女は二回繰返して述べている-自体、同女が九月一三日から二三日まで三千画廊で稼働し、同月二五日アルバイト料五万円を支給されているという公表帳簿上明らかな事実と矛盾し、同女の記憶の不正確なことを露呈している。)。これに反し、変更前の供述である二、三ケ月というのは、正規のアルバイト料月五万円を支給されたのが二回、ボーナスとして一ケ月分余分に支給されたのが一回という趣旨に理解すれば、まさに公表帳簿の記載と符合することになる。もつとも、同女は、昭和四七年三月ころから被告人小林信夫と特殊な関係にあつたところから、三千画廊がオープンした同年五月ころから同画廊に出入りし、手伝いめいたことをしていたことは窺われるが、正規のアルバイト料を支給されるほどのまとまつた仕事をしたのは、公表計上分程度と認めるのが相当である。同女が変更後の供述において三千画廊でアルバイトしたのは通算四ケ月くらいと述べているのは、不定期に一寸手伝つた程度のものを含めてのこととも解され、そのことは、検察官の再尋問に対し、アルバイト料はボーナス分を含め二五万円という「計算になります」が、実際受取つた金は今はつきりいくらとは「記憶にないですけれども」と供述を濁していること(同四七三丁裏)からも窺われる。弁護人は、「小林と七戸は当時特殊関係にあつて他の者の手前小林は実際は支給しているのに大部分は記帳させないでおいたものと推認できるから、支出したという証拠としては充分であつて云々」と主張するが、特殊関係にあることを秘匿するのであれば、同女を画廊に出入りさせなければよいのであつて、正規にアルバイトをさせ、そのアルバイト料を一部に公表計上している以上、他の大部分を記帳させない等という扱いをすれば、却つて特殊関係を推測させることとなるから、所論は筋違いである(また、正規のアルバイト料を支給するに至らない程度の手伝いに対して過分の謝金を提供したというのであれば、特殊関係による被告人小林信夫個人の出捐か事業主貸勘定のいずれかになるものであつて、被告会社の経費とは認められない。)。他に公表計上を避止すべき事由は何ら認められない(被告会社は売上除外行為をしているけれども、荷造運搬費等売上高と直接結びつき易い科目とは異なり、アルバイト料の如きは、売上高と直接関連の薄い科目であるから、現実に支出がなされている以上、これを秘匿すべきいわれはない。)。してみれば、七戸こと小林文子に対する簿外アルバイト料に関する所論は、失当というほかない。

次に、石川真澄分につき検討する。

まず、同人のアルバイト料が月額六万円であるという証拠は全く見当らない。そもそも、被告会社で六万円というアルバイト料を支給した事跡が全く窺われないのである。被告人小林信夫は、弁護人の誘導するままに、前掲経費明細帳(符8号)の給料手当一一月分一三万円のうち七万円が山岸こと杉沢三穂の分、残六万円が永野祐子のアルバイト料であるかの如く供述しているが(公第五冊一二五八丁)、これが出まかせに過ぎないことは、前掲諸給与支払内訳明細書(符13号)の記載から明らかである(右によれば、当月に限り、杉沢三穂の支払額は基本給七万円に休日手当一万円を加えた八万円であり、永野祐子のアルバイト料は五万円である。)。右明細書によれば、昭和四七年五月以降同四八年三月までのアルバイト料に関する記載は冒頭に引用したとおりであるほか、それ以降の分としては、同年九月以降同四九年二月までの分として伊藤千恵子の各月五万円の記載があるに過ぎない。すなわち、被告会社の支給するアルバイト料としては、石川真澄に対する昭和四七年一二月分の四万五〇〇〇円を唯一の例外として、すべて月額五万円とされているのである(同月分七戸文子一〇万円が、ボーナスを含めた二ケ月分であることは、前示のとおりである。)。

そこで、次に、稼働期間の点につき考察する。前記杉沢三穂の供述によれば、一ケ月位だつた永野裕子に比べて長かつたと思うというのであるが、期間については結局判然した記億がないということであり(公第三冊六〇七丁)、また、小林昭夫が三千画廊に入つた当時居たのは被告人両名と昭夫の三人だけであると述べている趣旨は(公第二冊三三一丁)、なるほど弁護人指摘のとおり、主要人物についての問答であつて短期間のアルバイト要員まで念頭においての供述ではないかも知れないが、逆に、同人はアルバイト要員については何ら言及していないのであるから、積極認定の資料とするに足りないものである。そうすると、唯一の手掛りは前掲経費明細帳(符8号)に「一一月二〇日石川真澄定期代三ケ月四七四〇円」の記載があることだけとなるが、三ケ月分の定期代を支給したからといつて、被支給者が現実に三ケ月勤務したものと推認するにはやや飛躍がある(前示のように、石川を除くその余のアルバイト料が期間の長短を問わず月額五万円と一率に固定されているのに対し、石川の場合のみ四万五〇〇〇円とされているのは、三ケ月分の定期代を支給されているのに、予定期間勤務できない事情を生じたため、既支給分との間に調整が図られたのではないかとすら推測させるものがある。)。以上に加えて、さきに引用したとおり、(ア)杉沢三穂は石川のアルバイト料は給与台帳に載せてあり、裏で支給したものはないと述べていること、(イ)昭夫に代つてから経費は一層詳細に記帳されるようになつた(乙13、証第六冊一〇四一丁裏)というのに、石川のアルバイト料に関する記載がないこと、(ウ)現実に支出しているものとすれば、七戸文子の場合以上に、その支出を簿外とすべき何らの必要性も合理性も窺われないこと、等の諸事情を併せ考慮すれば、石川真澄についても、公表分以外のアルバイト料の支出はなかつたものと認めるのが相当であつて、所論は採るを得ない。

第七「<12>旅費交通費」勘定について

被告人小林信夫らの弁護人は、簿外の旅費交通費として月額平均一〇万円、一一ケ月分合計一一〇万円を認容すべきであると主張し(弁(法)第三の六)、被告人小林信夫もこれに副う供述をしているけれども(公第五冊一二四二丁ないし一二四四丁)、その内容としては郷里の上田市への出張が公表分の三回の三倍位はあり、都内でのタクシー代等を含めて月額一〇万円位はかかつているというきわめて漠然としたものであり、具体的支出実績、支出目的について何らの証憑となるべき資料も存しないのであるから、これを被告会社の費用として認容すべき限りではない。

第八「<23>雑費」勘定について

一 被告人小林信夫らの弁護人は、簿外の雑費勘定として、昭和四七年六月青森市の株式会社松木屋で葛西四雄作品の展示即売会を開催した際世話になつた葛西の師匠である奈良岡正夫に対する謝礼金三〇万円を計上すべきである旨主張し(弁(法)第三の七の(一)、別紙3)、同被告人も右に沿う事実を供述し、奈良岡に対し、謝礼として三〇万円か五〇万円を駒込の同人のアトリエで渡した旨述べている(公第五冊一二三九丁以下)。これに対し、被告人佐藤造は、相被告人から相談がなかつたし、聞いていないから謝礼は出してないんじやないかと思う旨述べているが(公第四冊一一〇一丁以下)、押収にかかる納品書仕入関係書等一袋(符21号)中の昭和四七年五月二五日付の「青森個展収支予算表」と題する書面(右肩に「佐藤」と記名し丸で囲んである。)によれば、「支出の部」に「(9)お礼六〇〇、〇〇〇円、奈良岡、小田切」としたうえ、鉛筆書きで右金額を抹消し、「五〇〇、〇〇〇円」と書き直している事実が認められるから、被告人両名の間で奈良岡らに対する謝礼のことが話題となり、金額の相談もなされていることが窺われ、従つて被告人佐藤造の前記供述は記憶違いによるものと認めるのが相当である。他に被告人小林信夫の前記供述の信憑性を疑わせる資料はないから、弁護人主張どおり三〇万円を「<23>雑費」勘定に計上することとする。

二 さらに、弁護人は、昭和四七年六月以降毎月個展を開催した都度行なつているパーテイにサービス係として呼んだクラブ・ホステスに対する謝礼月額三万円合計二七万円(昭和四七年六月から期末である同四八年三月までは一〇ケ月あるから、右合計額は三〇万円となる筈であり、主張額は弁護人の計算違いによるものと認められる。)を簿外雑費として認容すべきである旨主張する(弁(法)第三の七の(二)、別紙3)。右のような支出のあつたこと自体は、被告人両名が一致して供述しているところである(公第四冊一一〇九丁裏以下、公第五冊一二四〇丁裏以下。なお、金額の点については、被告人小林信夫は「三〇万くらい払つた計算になると思います。」と述べている。一二四一丁)。検察官は、被告人佐藤造はホステスに対する謝礼もすべてパーテイ費用として公表計上してある旨述べているとして、第一八回公判調書中同被告人の供述記載部分を引用しているが、右供述を仔細に検討しても、領収証のある飲食物の代金については明確であるが、ホステスの謝礼を公表計上したかどうかについては定かでなく、結局記憶がない旨の供述に終つているのであつて、検察官引用のような趣旨には読み取れない。押収にかかる経費明細帳(符8号)の交際費勘定及び雑費勘定の記載並びにその裏付となる証憑書類からも、右費用が公表計上されているかどうか明らかでないことは検察官も自認するところである。検察官は、それにもかかわらず、「他に、右佐藤の供述を否定するに足る証拠もない」と主張するが、佐藤の供述そのものがあいまいなことは右に説示したとおりであるから、証拠物から公表計上の有無を確定し得ない以上、被告人の利益に簿外費用として支出されたものと認めるのが本筋である。

しかし、本件謝礼は、個展開催に伴うパーテイ費用の一部であつて、性質上交際費に属するものであり、被告会社としても、パーテイ費用は交際費として公表計上しているのであるから(符8号)、弁護人の主張する「<23>雑費」勘定ではなく、「<14>交際費」勘定及び「<28>損金不算入交際費」勘定にこれを計上すべきものとし、計算の基礎としては、被告人小林信夫の供述する三〇万円を採用することとする。

第九財産増減法による計算結果との不突合額(「<14>交際費」及び「<28>損金不算入交際費」勘定)について

一 被告人小林信夫らの弁護人は、検察官が損益計算法により算出した逋脱所得金額から税務加算分を控除した金額と、財産増減法により算出される被告会社の社内留保金額とは、理論上一致すべきものであるにもかかわらず、両者の間には一〇〇〇万円を超える開差(後者が少い。)が存するのであつて、この使途不明社外流出金額から交際費を除く弁護人主張の簿外諸費用金額等を控除した残額は、すべて簿外交際費として支出されたものと認むべきであると主張する。すなわち、(一)検察官作成の昭和五三年二月一七日付冒頭陳述補充書添付の別紙1修正損益計算書の「<30>当期純利益」に記載されている実際所得金額(借方「差引修正金額」欄)九二七四万六五九二円から当初申告金額(同「公表金額」欄)二二〇万七八八八円を控除すれば逋脱所得金額(同「当期増減金額」欄)九〇五三万八七〇四円が得られるが、右金額中には、税務上益金加算されるが実際には社外流出している「<28>損金不算入交際費」一四八万九九一三円及び「<29>損金不算入役員賞与」一〇六〇万円が含まれているので、これらを控除した残額七八四四万八七九一円が理論上社内留保されたものと認められる(弁護人は、右計算において、当初申告金額を最後に控除しているが、本文記載のように、これを最初に控除する方が分り易い。)。(二)一方、京橋税務署長作成の(第二次)更正通知書(弁第五〇号証、証第六冊一二八四丁)記載の「翌期首現在利益積立金額」借方欄に記載された逋脱所得の留保内容を合算しても、六六一二万九五七六円にしかならないから、(一)で計算した社内留保金額との間に一二三一万九二一五円の開差を生じ、これが一応使途不明と目される社外流出金額である。(三)ところで、右(一)の計算は、検察官の主張がすべて正しいものであることを前提としたものであるから、交際費を除く各勘定科目数額に争いのあるものにつき、弁護人の主張がすべて認容されたものとしてこれを修正した場合、使途不明と目される社外流出金額は一一三〇万七二一五円と算出され、これについては、個々に領収証等の証憑書類によつては立証し得ないが、被告人小林信夫が公判廷において供述しているように、すべて簿外交際費として支出されたものと認むべきである、というのである(弁(法)第三の八、計算の詳細につき同別紙5、6)。

二 貸借対照表に基づくいわゆる財産増減法による計算とは、期首現在における貸借対照表の資産、負債及び資本の各勘定科目の数額と期末現在の貸借対照表の各対応科目の数額とを比較し、期中における増加額すなわち当期分の所得を算出する方法を指称するのであるから、弁護人のように翌期首現在(すなわち当期末現在)の利益積立金額を利用する方法は、一種の便法であつて、厳密な意味での財産増減法による計算とは言い得ない。しかしながら、翌期首現在利益積立金額は、期中の逋脱所得金額に見合う利益の留保形態を示すものであるから、その基礎とする数額が正確に捕捉されている限り、財産増減法による期中の資産増加額から公表分を差引いた額と一致すべきものであり、従つて、財産増減法による計算の代りにこれを用いたとしても、方法論として誤りではない。

そこで、前掲弁第五〇号証記載の翌期首現在利益積立金額借方欄の各科目を検討して見ると、普通預金、定期積金、定期預金については、いずれもその簿外金額と一致し、棚卸商品、売掛金の額も正確である。また、本来貸方科目である買掛金が借方欄に掲げられているのは、架空計上分を否認したものと解され、そのことは相被告人佐藤造の供述(乙19、証第六冊一一三二丁裏以下)と符合する。未払金二〇万円とあるのは、当期に支払つた広告宣伝費が翌期に帰属するものとして否認された結果によるものであつて、「未払金」は「前払金」の誤記と認むべきである。

そうだとすれば、ここに掲げられている科目に関する限りその数額に誤りはなく、その合計額が六六一二万九五七六円であることは、弁護人所論のとおりである。

三 一方、右弁第五〇号証によれば、京橋税務署長は被告会社の実際所得金額を当初起訴金額と同額の九四六二万二九五八円と認めて更正をなしていることが認められるから、申告額二二〇万七八八八円及び第一次更正額八三万円の合計額三〇三万七八八八円と右実際所得金額との差額九一五八万五〇七〇円を逋脱所得金額と認めていることとなる。もし、同税務署長において、右逋脱所得金額と前記翌期首現在利益積立金額との差額が費用性の支出として社外に流出したものと認めているものとすれば、その分だけ逋脱所得金額を減算しなければ更正として首尾一貫しないこととなるにもかかわらず、前記逋脱所得金額を維持しているのは、右差額は、前記翌期首現在利益積立金額掲記の科目以外の形態で社内に留保されているか、あるいは、事業主貸勘定等のように被告会社の費用とならない形態で社外流出したものと認めたからにほかならないものと考えられる。すなわち、逋脱所得金額と翌期首現在利益積立金額との間には既に右更正当時から大巾な開差があつたのであり、その開差は、弁護人主張のように、交際費等被告会社の費用となるような形態で社外流出したものとは認められていなかつたのである。

本件は、右税務署長の更正の当否を判断するのが目的ではないから、以下、損益計算方式による逋脱所得金額を験算するうえにおいて、貸借対照表を用いた正規の財産増減法による計算に代えて、どの程度前記翌期首現在利益積立金額に依拠し得るかという観点から考察する。

四 さきに見たように、右翌期首現在利益積立金額は、そこに掲げられている資産科目に関する限りは正確な数額を示しているが、逋脱所得金額のすべてをカバーするものとは認められない。その他に、右以外の資産科目として社内に留保されているもの、利益処分性の支出として、あるいは事業主貸に相当する支出として社外に流出したものがあるとすれば、これらも又逋脱所得金額の転化したものと言い得るのである。

1 具体的にこれを検討して行くと、まず、資産科目として現金勘定が考えられる。すなわち、被告会社の昭和四八年三月期法人税確定申告書一綴(符1号)中の貸借対照表によれば、期末現在の現金の公表金額は一二万〇四九五円となつているところ、相被告人佐藤造が同年二月末日現在で作成した被告会社の試算表(符21号のうち)によれば、「現金・預金」勘定として六一五九万一四七六円が計上されているのであつて、二月末日現在の公表帳簿外の全預金残高五〇八一万八九六四円をこれから差引けば、一〇〇〇万円余の現金が存在したことになるのである。もとより、右試算表は二月末日現在のものであるから期末までの一月間に若干の異同があり、また、計算の基礎とした数額も必ずしも正確とは言い難いから、全面的にこれに依拠することは危険であるにせよ、右算出結果と比較して前記公表金額はあまりにも過少であり、多額の、恐らくは百万円単位の簿外現金の存在が推認できるのである。

2 次に、利益処分の性質を有する社外流出金額としては、役員賞与と限度超過交際費とが考えられるが、これらについては、逋脱所得金額との開差を算出するに際し、既に弁護人において減額調整ずみであるから、取立てて論ずる実益はない。

3 さらに、事業主貸勘定について検討する必要がある。検察官主張の如く、被告会社の資産を被告人小林信夫の個人的用途に費消したと認められる分が相当多額に上ることは弁護人も敢えて争わないところであり、これらは、被告会社の側からすれば事業主貸勘定として経理処理されるべきものである。

なお、検察官は、翌期以降において被告人小林信夫がその個人的用途に費消した分(たとえば、上田市における土地購入費)についても、当期の事業主貸勘定に計上すべきものであるとし、その理由として、被告会社の翌期の収支は拮抗しており、同被告人の所得も毎月の給与のみであつたから、その資金の出所は当期における被告会社の簿外資金以外にはないことを挙げているが、資金源が所論のとおりであるとしても、それを当期中に支出し、同被告人個人の預金口座に入れるなり、手持現金その他の形で翌期まで保有していたものであるか、あるいは、当期末には簿外資金として社内留保のまま翌期に持込み、翌期において簿外支出したものであるかは、所論引用の証拠(符2号、決算関係書類)からはいずれとも判別し難いから、被告人の利益に後者と考えるべきであり、そうだとすれば、この分については当期の事業主貸勘定に含めるべきではないこととなる。

一方、弁護人は、右の翌期分を除くその余の事業主貸勘定が認められるとしても、被告人小林信夫が私費を投じて購入した絵画を被告会社で販売し、その売上を計上しているものにつき、被告会社から未だ代金を回収していないもの(被告会社の同被告人からの買掛金となる。)が略々これと同額存するので、両者は優に相殺され、事業主貸勘定として残るものはないと主張する。しかし、被告会社設立前に同被告人個人の営業としてなした取引については別途処理ずみであり(前記第二参照)、同設立後において被告人両名がその所有絵画を提供した分についても、帳簿上被告会社の売上とは区別して個人分として扱われているのであるから(符21号中「作品立替分」と題する書面)、それ以外に、所論のように大量に、被告人小林信夫の個人所有の絵画が被告会社の売上に混入したという事実自体疑わしいのみならず、よしんばそのようなものがあつたとしても、同被告人は当期中に被告会社からその仕入代金を回収しようという意思を有していなかつたのであるから、当期末現在で被告会社の買掛金債務が確定していたものとも言い難い。してみれば、弁護人の所論も採るを得ないこととなる。

五 叙上の次第であるから、前記翌期首現在利益積立金額には、現金勘定、事業主貸勘定のような脱漏部分があり、これを貸借対照表に基づく財産増減法による計算結果に代用して逋脱所得金額との間に差引計算を行なう資料となすに由ないところである。

そうだとすれば、所論簿外交際費については、右差引計算によることなく、証拠によつて個々にその存否を判断すべきこととなる。

被告人小林信夫は、第二〇回公判において、不突合額が一五〇〇万円位あることを前提としてその使途を訊ねる弁護人の質問に対し、当時異常な絵画ブームであつたことから、毎晩のように画商、貴金属商、不動産屋、作家、コレクター等との交際に銀座、赤坂、六本木、新宿辺のクラブで飲食のために費消した、当時行つた店は五、六〇軒はある、行つた記憶があるのに領収証の残つていない店としてナルタキ、セントポール、バーデイー、ベルサイユ、クラウン、ウルワシ、ダムギヤラント等があり、残つている領収証の数よりも多数回行つた記憶がある店としてエンパイヤ、ミカド等がある旨供述している(公第五冊一二四四丁ないし一二四八丁裏)。しかし、右は証憑書類等に基づかない漠然とした記憶による供述であり、不突合額が一五〇〇万円であることを前提としてその内訳を説明しているに過ぎないから、積極的に簿外交際費が一五〇〇万円あつたということの根拠とはなし難い。右以外に公表分及び領収証等により簿外交際費として認容された分が六〇〇万円余りあるのであるから、合計二一〇〇万円余、月額にして一七五万円余というのは、資本金三〇〇万円の被告会社の交際費としては異常な巨額であつて、到底措信するを得ない。検察官指摘の如く、被告会社を法人組織とした動機が個人営業に比し交際費の損金算入等の面で対税上有利である点にあることは同被告人の自認するところであるから、領収証のない分が七分の五を占めるということは極めて不自然という外ない。この点に関し、同被告人は、オープンして二ケ月位経つてから相被告人佐藤造に交際費には枠があつて、四-五〇〇万円しか使えないと教示され、それ以上は領収証は貰つても仕方がないと思つて自分で行く場合には一切領収証は貰わず、佐藤が行つた分の領収証のみ保存した旨供述しており(公第五冊一二四六丁裏)、別紙(三)月別交際費一覧表記載のとおり、昭和四七年七月分以降簿外分の領収証のある金額が激減している点は、一応右供述に沿うかの如くである。しかし、右は領収証に日付の記載のないもの(合計一六九万一九八六円に達する。)を除外した数額であるのみならず、公表分との合計金額で見れば、オープン直後の六、七月の金額がやや嵩んでいる外、各月の金額は略々均衡していて、顕著な減少傾向は窺えない。しかも、その累計額がそれ以上は領収書を残しても意味がないと言われたという四〇〇万円に達するのは、前記日付の記載のない分を各月に均等に割振つて計算して見ても、同年一一月のことであつて、オープン後二ケ月を経た時期とはかなり距たつており、また、翌月以降分の支出金額にも特段の減少は見られないことからすれば、同被告人の前記供述とはむしろ相反する実績を示しているものと言えるのである。ちなみに、相被告人佐藤造は、会計士から交際費の枠のことは聞いたが、四〇〇万円位までは認められるというので、小林さんには全部経費は計上できるらしいと話しておいた旨供述しているのである(公第四冊一一〇五丁裏ないし一一〇六丁裏)

以上の諸点からすれば、領収証のない簿外交際費として一五〇〇万円を支出した旨の被告人小林信夫の前記供述は、にわかに措信するを得ない。

六 右の一般的供述以外に、個別に簿外交際費として認定できるのは、次の二点である。すなわち、(一)さきに「<23>雑費」勘定において判断したとおり、個展開催時のパーテイ費用の一部であるホステスに対する謝礼合計三〇万円(前記第八の二参照)は、雑費ではなく、簿外交際費と認むべきであり、(二)前掲試算表(符21号)中の損益計算書に計上されている「作家特別費」も、公表金額中には含まれておらず、その支出内容は作家に対する生活費や新築祝、作家を宝塚旅行に招待して忘年会を催したときの費用というのであるから(公第四冊一〇九七丁裏ないし一一〇一丁、一一〇二丁裏ないし一一〇三丁裏、公第五冊一二四九丁ないし一二五〇丁裏)、これを簿外交際費と認むべきである。その数額は九五万円である。

以上のとおり、検察官主張以外に簿外交際費として認められるのは、右(一)、(二)の合計一二五万円である。

第一〇所得金額及び税額の計算について

一 別紙(一)の修正損益計算書掲記の各勘定科目(「<30>当期純利益」を除く。)中、(ア)「売上割戻し」、「<2>期首商品棚卸高」、「<7>法定福利費」、「<8>福利厚生費」、「<10>車輌費」、「<13>通信費」、「<15>水道光熱費」、「<16>消耗品費」、「<17>家賃地代」、「<19>保険料」、「<20>公租公課」、「<21>創業費」、「<22>減価償却費」、「<25>支払利息」、「<26>法人税引当金」、「<27>損金算入法人税充当金」については、検察官において公表金額をそのまま認容し、弁護人もそのことを争わず、また、(イ)「<9>荷造運搬費」、「<18>会議費」、「<24>受取利息」については、弁護人において検察官主張にかかる「当期増減金額」をとくに争わず、いずれも前掲各証拠によつて証明十分と認められる。

その余の各勘定科目に関する争いについては、前記第一ないし第九において判断したとおりである。以下、各勘定科目別に結論を摘記する。

二 弁護人の主張を排斥して、検察官主張どおりの「当期増減金額」を認定したのは、「<4>期末商品棚卸高」(前記第一、第四参照)及び「<6>給料手当」(前記第六参照)である。なお、「<12>旅費交通費」については、弁護人の主張を採用せず、公表金額どおりと認定した(前記第七参照)。

三 以下に掲げる各勘定科目については、検察官主張の「当期増減金額」とは異る数額を認定した。

1 「<1>売上高」については、被告会社設立前の売上にかかる分六九万円を公表金額から除外することとし(前記第二参照)、検察官主張の売上除外額(貸方当期増減金額欄)と区別する意味において、借方当期増減金額欄に同額を計上した(貸方当期増減金額欄をそれだけ減額するのと同じことである。)

2 「<3>商品仕入高」についても、右と同様、被告会社設立前の仕入金額二一万円を公表金額から除外することとし、前同様の理由で同額を貸方当期増減金額欄に計上した。ちなみに、公表金額は四二万円であつて、二一万円の水増計上が存するが、右水増分については、既に検察官において借方当期増減金額欄で調整ずみであるから、貸方当期増減金額欄においては、実際額二一万円のみを計上した(借方、貸方双方で公表金額四二万円が全額減算されることとなる。)。

なお、甲(一)46の報告書に仕入金額の記載のないものに関する弁護人の主張は、認めない(前記第三参照)。

3 「<5>役員報酬」については、簿外分六三二万八〇〇〇円を借方当期増減金額欄に計上した。その内訳は、(ア)被告人両名に対する簿外報酬計一一八万円、(イ)同簿外賞与計一六〇万円、(ウ)被告人佐藤造に対する簿外賞与三五四万八〇〇〇円(昭和四七年一〇月四日支給分)である(前記第五参照)。検察官主張にかかるその余の簿外役員賞与については、証明不十分である。

なお、右(イ)、(ウ)の簿外役員賞与計五一四万八〇〇〇円については、法人税法上損金算入が認められない(三五条)から、「<29>損金不算入役員賞与」貸方当期増減金額欄に同額を計上した。

4 「<11>広告宣伝費」については、期ずれ計上分二〇万円は逋脱行為によるものとは認められないから(前記第一の三参照)、検察官主張の貸方当期増減金額を削除し、公表金額どおり認定することとした。

5 「<23>雑費」については、奈良岡正夫に対する謝礼金三〇万円を検察官主張の借方当期増減金額に加算した。

なお、パーテイ費用の一部であるホステスに対する謝礼金三〇万円については、「<14>交際費」に計上することとした(前記第八参照)。

6 「<14>交際費」については、検察官認容額の外に、右ホステスに対する謝礼金三〇万円及び作家特別費九五万円の合計一二五万円を借方当期増減金額欄に計上した(前記第九参照)。その結果、「<28>損金不算入交際費」に八七万五〇〇〇円の増加を生じたので、これを貸方当期増減金額欄に加算した。

四 右の結果、「<30>当期純利益」(実際所得金額)は九一三九万一五九二円となり、申告所得金額二二〇万七八八八円との差額八九一八万三七〇四円が逋脱所得金額となる。これは、検察官主張の実際所得金額と対比して一三五万五〇〇〇円の減少を示している。

右実際所得金額に対する法人税額は別紙(二)税額計算書記載のとおり三三三二万三九〇〇円と算定されるから、申告税額六一万七九〇〇円との差額三二七〇万六〇〇〇円が逋脱税額である。

(法令の適用)

一  判示所為に対する罰条

1 被告会社につき、

脱税に係る罰則の整備等を図るための国税関係法律の一部を改正する法律(昭和五六年法律第五四号、以下「改正法」という。)による改正前の法人税法第一六四条第一項、第一五九条第一項、第二項

2 被告人小林信夫、同佐藤造につき、

(ア) 行為時 各改正法による改正前の法人税法(以下「行為時法」という。)第一五九条第一項

(イ) 裁判時 各改正法による改正後の法人税法第一五九条第一項

(ウ) 各刑法第六条、第一〇条によりいずれも軽い行為時法の刑を適用することとし、所定刑中各懲役刑を選択

二  懲役刑の執行猶予

被告人小林信夫、同佐藤造につき各刑法第二五条第一項

三  訴訟費用の負担

被告人小林信夫につき刑事訴訟法第一八一条第一項本文

別紙(一) 修正損益計算書

株式会社 三千画廊

自 昭和47年4月21日

至 昭和48年3月31日

<省略>

別紙(二) 税額計算書

株式会社 三千画廊

<省略>

<省略>

別紙(三) 月別交際費一覧表

<省略>

第二部  被告人小林信夫に対する業務上横領被告事件

第一本件公訴事実の要旨等

一  被告人小林信夫に対する昭和五〇年三月二四日公訴提起(同年五月一五日訴因変更)にかかる公訴事実は、次のとおりである。

被告人小林信夫は、絵画販売を営業目的とする東京都中央区銀座四丁目八番一三号銀座蟹睦会館ビルデイング所在株式会社三千画廊の代表取締役として、同会社の経理・金銭出納その他会社の業務全般を統括しているものであるが、昭和四八年六月一日ころから同年七月三一日ころまでの間、前後百数十回にわたり、東京都内において、右会社のため業務上預り保管中の現金二三八〇万九四九四円を、ほしいままに、自己の経営するスナツク「ルネサンス」及び割烹料理店「心」(以下「スナツク「ルネサンス」等」又は「本件店舗」という。)の開業資金等にあてるため着服して横領したものである。

二  検察官提出の昭和五〇年五月一五日付冒頭陳述書の記載によれば、被告人小林信夫は、同被告人が昭和四八年七月五日東京都品川区大井四丁目五番七号林ビル一階に個人で開業したスナツク「ルネサンス」等の開業資金として、前記期間中一六三回に亘り、合計二四五〇万八七七六円を支出しているところ、同年七月七日以降同月三一日までの両店の売上金一一三万二七八二円のうち、親和銀行東京支店の「ルネサンス小林昭夫」名義の普通預金口座に入金された四三万三五〇〇円を除く残額六九万九二八二円は右支出に充当されたものとみられるので、右支出金額からこれを控除すると、残額は二三八〇万九四九四円となるが、右金額はすべて同被告人において業務上預り保管中の被告会社の簿外資金からほしいままに支弁したものであるから、同金額について業務上横領罪が成立するというのである。すなわち、本件業務上横領罪の態様は、同被告人において、被告会社の簿外資金を、ほしいままに自己の個人営業に流用したということにある。

第二弁護人の主張

弁護人は、本件業務上横領罪の成立を争い、縷々の論旨を展開しているが、その言わんとするところは、大要、(一)被告人小林信夫は、少なくとも主観的には、被告会社は実質的に見て同被告人一人のみが株主であり役員でもある一人会社であり(相被告人佐藤造が共同出資しているようにみえるが、それは同被告人からの借入金に過ぎず、しかも、業務上横領が問題となる時点においては、全額返済ずみである。)、従つて、被告会社の資産はすべて被告人小林信夫の個人資産であると観念していたものであるから、横領の対象となる財物(被告会社の簿外資金)につきその他人性の認識を欠き、横領の故意を有しない(弁(業)第一の二の(一)、第二の一)、(二)被告人小林信夫は、被告会社は自己の一人会社であると信じていたところ、スナツク「ルネサンス」等は、絵画ブームが去つて経営不振に陥つた被告会社の財政を再建するため、そのサイドビジネスとして収益を確保する目的で開業したものであり、従つて、被告会社の資金を自己に不法に領得する意思はなかつた(弁(業)第一の二の(二)、第二の二)、(三)仮に相被告人佐藤造が被告会社の株主であり役員であつたとしても、同人は株主及び取締役の立場において、被告会社がその資金でスナツク「ルネサンス」等を開業することに同意し、積極的に参画していたものであるから、被告人小林信夫の本件所為は被告会社の代表取締役としての正当な職務権限内の行為である(弁(業)第一の二の(三)、第二の三)の三点にある。

第三当裁判所の判断

一  被告人両名の経歴及び被告会社設立に至る経緯については、さきに被告人三名に対する法人税法違反被告事件の冒頭に認定したとおりである。被告会社は、額面株式一株の金額五〇〇円、発行する株式の総数二万四〇〇〇株、設立に際して発行する株式の総数六〇〇〇株、資本金三〇〇万円の株式会社として発足したものであつて、資本金三〇〇万円は被告人両名において各一五〇万円ずつ払込み、従つて実質的には被告人両名が各三〇〇〇株ずつの株主に相当することとなるが、発起設立の形式を整えるため、被告人両名にその双方の親族等を加え、発起人一〇名が次のとおり株式を引受ける体裁をとつたものである。

(ア) 被告人小林信夫 二五〇〇株

小林こと杉沢三八(信夫の先妻) 二〇〇株

末永一男(三八の妹三枝の夫) 一〇〇株

末永三枝(一男の妻) 一〇〇株

山岸こと杉沢三穂(三八の妹) 一〇〇株

杉沢八重(三八の母) 一〇〇株

小林松子(信夫の母) 一〇〇株

小計 (三二〇〇株)

(イ) 被告人佐藤造 二五〇〇株

佐藤典子(造の妻) 二〇〇株

大澤米次(典子の父) 一〇〇株

小計 (二八〇〇株)

会社役員としては、被告人両名がそれぞれ代表取締役、小林こと杉沢三八及び佐藤典子が各取締役、小林茂夫(信夫の弟)及び大澤米次が各監査役に選任された。被告人両名を除くその余の株主、役員がいずれも名義上のものに過ぎないことは言うまでもない。

以上は、押収にかかる被告会社の定款等フアイル一綴(符3号)及び関係者の供述によつて認められるところである。ところで、弁護人は、右事実関係を争い、相被告人佐藤造の出捐した株式払込金一五〇万円は出資金ではなく、同人から被告人小林信夫が個人的に借用したものであつて、資本金三〇〇万円は全額同被告人の出資にかかるものである、また、相被告人佐藤造が代表取締役となつているのは、同人が勝手に登記したものであつて、同人は実際は被告会社の経理事務担当の従業員であるに過ぎない、少なくとも被告人小林信夫は右のように確信していたものである旨主張する。しかしながら、被告会社の設立関係書類及び経理関係諸帳簿を精査しても、相被告人佐藤造の拠出した一五〇万円が同人の株式払込金ではなくて被告人小林信夫に対する個人的貸付金であることを窺わせるに足りる資料は何ら見出すことができない。所論にもかかわらず、被告人小林信夫自身のこの点に関する認識も甚だあいまいであつて、出資と借入の区別も定かでなく(公第四冊八六八丁ないし八七四丁等)、少なくとも同被告人が意識的に借入手続きを行なつた事跡は何ら窺われない。共同代表の点についても、被告人両名は、両者の間だけでなく第三者たとえば蟹睦会館の代表理事纐纈庄太郎らに対しても共同でやる旨を言明し、会館の賃貸借契約書(符3号のうち)にも連名で被告会社の連帯保証人となつているくらいであり、当時の被告人両名の親密な関係からみても、相被告人佐藤造において被告人小林信夫に相談もなくほしいままに代表取締役の登記をすることは考えられない。後日被告人両名の不和が決定的となつたからといつて(それは、昭和四九年に入つてからのことである。)、この時点で相被告人佐藤造が将来の自己の地位を保全するためひそかに工作を行なつたというにおいては、弁護人の憶測以外の何物でもなく、到底採るを得ない(もし、同被告人にそのような気持が少しでもあつたとすれば、名義株主の持株数を自己に有利に工作することはいくらでも可能であつたのに、さきに認定したとおり、事実はその逆を示している。)。

二  叙上の如く、弁護人の前記(一)の所論は、既にしてその客観的前提を欠くものと言うべきであるのみならず、被告人小林信夫の主観面から考察しても、そもそも被告会社は、法人格すら否認されるような紙の上の存在ではなく、実体を有する事業主体として営業活動を行ない、法人税の確定申告に及んでいるのであるから、自ら納税申告に関与している被告人小林信夫において、如何に法律関係に明るくないとはいえ、被告会社が自己とは別個の法人格を有する社会的実在であることの認識すらなかつたものとは認められず、一方において被告会社が法人であることによる税法上の利益を享受しておきながら、他方において被告会社即被告人小林信夫個人と心得、会社財産と個人資産の区別もつかず、会社財産の他人性の認識もなかつた旨のいささか児戯に類するような主張を試みることは、余りにも身勝手に過ぎ、到底人を説得するに足りるものではなく、単なる後日の弁疏にほかならないものというべきである。

三  次に、所論(二)(三)の主張は略々その構成を同じくし、スナツク「ルネサンス」等の開業は被告会社のサイドビジネスとして行なつたものであるから、そのための出捐は被告会社の資産を不法に領得したものではない(あるいは、その意思がない)ことを骨子とする。ただ、所論(二)においては、(少なくとも被告人小林信夫の認識する限りでは)相被告人佐藤造は被告会社の役員でも株主でもなく、従つて、被告会社のためにそのようなサイドビジネスを行うことは被告会社の唯一の役員兼株主である被告人小林信夫の一存で自由に決し得るところであつたこと、あるいは少なくとも同被告人においてはそのように信じていたことが前提とされ、所論(三)においては、右の前提が認められないとしても、相被告人佐藤造はそのようなサイドビジネスを行なうことに同意し、積極的に参画していたとする点に差異を生ずるに過ぎない。そして、所論(二)の前提が認められないことについては、前段説示の如くであるから、問題は、所論(三)の主張を認めうるか、すなわちスナツク「ルネサンス」等の開業は被告会社のサイドビジネスであるのか、そのことにつき相被告人佐藤造の同意ないし積極的参画はあつたのかという点に尽きることとなる。以下順次検討する。

四  検察官は、スナツク「ルネサンス」等の営業が被告会社のサイドビジネスではなく、被告人小林信夫の個人事業に過ぎないことの理由として、概ね次のような事項を掲げている。すなわち、(ア)被告人小林林信夫は、不動産業者を介しての店舗用建物の物色、林ビル所有者林永直との間の本件店舗の賃借契約、山本浩一に対する内装工事の発注と監督、保健所に対する飲食店営業の許可申請等は、すべて実兄昭夫と相談して同人の名義を使つて行なつており、知人等に対する開店案内状も同被告人と小林昭夫の連名としていること、(イ)本件店舗の賃借保証金四四〇万円、一月分の賃料一三万五〇〇〇円、内装工事代金一三三〇万円等の支払いに被告会社の裏金を充てたことにつき相被告人佐藤造に話していないこと、(ウ)開店後の営業は小林昭夫を支配人として同人に委せ、被告人小林信夫が毎晩売上金の回収に赴いており、他方、相被告人佐藤造は開店後の営業に全く関与せず、客として赴いたことはあるが、その際は正規の飲食代金を支払つていたこと、(エ)被告会社の営業目的は「絵画の買入及び販売、絵画の販売企画、以上に附帯する事業」とされており、飲食店営業はこれに含まれていないこと、(オ)被告人小林信夫は日頃から兄弟を使つて「小林コンツエルン」を作り、不動産業、飲食店業等多角的経営を志向していたものであるが、実兄昭夫を使つてのスナツク「ルネサンス」等の飲食店経営、実弟茂夫を使つての不動産業株式会社三千商事(昭和四九年四月設立)の経営は、まさしく同被告人の構想の実現と認められること、(カ)被告人小林信夫は、本件店舗の営業が不振であつたことから、昭和四九年八月、鹿野仲次郎の経営する有限会社ノグチに割烹「心」を二八〇万円で売却し、同年一一月、宮原徳義に月一〇万円でスナツク「ルネサンス」の経営を委託したところ、右売却金等を株式会社三千商事に対する仲介手数料、同社の従業員に対する給料、自己の遊興飲食費等に消費していること、(キ)弁護人の主張する論拠はいずれも理由がないこと等がそれである(論告要旨第一の三の3の(一)の(1)ないし(4)、同(二)の(1)ないし(4))。

五  所論(ア)の点は、証拠上、たしかにそのような事実関係を認め得るところであるが、もともと、飲食店営業に手を出すこと自体、被告人小林信夫の側で発案し推進したものであるから、ある程度同被告人が主導的立場でことを運んでいたとしても、直ちに被告会社と関係のない個人事業であると断定する訳には行かない。そして、相被告人佐藤造が表面に出ていない事情についても、被告会社の簿外資金の運用である以上、被告会社や被告人両名の名義を用いることには対税上の問題があるので小林昭夫の名義を利用することとした、また、店舗の賃借契約等は、三千画廊の営業時間内に行なわれたので、相被告人佐藤造に画廊の方を見てもらい、被告人小林信夫と契約の名義人でありかつ自動車の運転を担当していた小林昭夫の両名が現地に出向くこととしたまでであつて、ことさらに相被告人佐藤造を排除してことを運んだ訳ではない旨の被告人小林信夫らの弁明にも一理がないとは言えないのであつて、検察官のように、これを以つてスナツク「ルネサンス」等の開業が被告人小林信夫の個人事業であることの証左であると一義的に決めつけることはできない。

次に、所論(イ)の点については、被告人小林信夫が本件店舗の開設に要した資金を被告会社の裏金から支出したことにつき、相被告人佐藤造に話していないことは所論のとおりであるが、同人がそのことを知つていたか否かは別個の問題であり、その点については後に判断することとする。

所論(ウ)、(エ)、(オ)の点も、スナツク「ルネサンス」等の経営が被告人小林信夫の個人事業であることの決定的理由となるものではない。被告人小林信夫は、被告会社の現金、預金を一手に管理する立場にあつたのであるから、スナツク「ルネサンス」等の売上金等をその管理下に置くのは当然であり、また被告会社の表の事業である絵画部門を相被告人佐藤造に、裏事業である飲食営業部門を小林昭夫にそれれぞれ担当させるという体制も可能であるから、小林昭夫が営業を担当しているからといつて、スナツク「ルネサンス」等が被告会社の事業ではないとは言い得ない。相被告人佐藤造が同店における自己の飲食代金を支払うのは当然のことであつて、何ら怪しむに足りないところである。飲食店営業が被告会社の定款に定められた営業の目的に含まれるか否かは疑問の余地なしとしないが、全株主の賛同があるとすれば、定款変更の形式的手続が履践されていないというに過ぎず、刑法上の業務上横領罪の成否の観点からすれば、商法上の手続的瑕疵は問うところではない。さらに、所論の「小林コンツエルン」構想は、飲食営業部門を被告会社の一事業部門とすることによつても、独立の事業体とすることによつても、実現可能なのであるから、これまた問題解決の決定的要素とはなり得ない。

最後に、所論(カ)の点であるが、被告人小林信夫が本件店舗の売却金等を被告会社以外の用途に費消した事実があるとしても、問題はその時点である。相被告人佐藤造は、昭和四八年九月ころから年末にかけて被告人小林信夫の先妻から相談を受け、同被告人が被告会社名義で情婦のために家財道具を買入れている等の事情を聞知し、同被告人の会社資金の使途に疑問を抱くようになつていたため、翌四九年二月二一日付で「基本的問題点」と題する覚書(弁第4号証)を同被告人に突きつけ、会社資金の使途明細書を提出するよう要求するに至り、これがきつかけとなつて被告人両名の仲は決定的破局を迎えるに至つたのである。同被告人は、これに対し、同年三月二六日付をもつて、その前年である昭和四八年四月二一日相被告人佐藤造らを含む被告会社の役員全員が退任し、同年五月三一日被告人小林信夫、小林茂夫、小林康子が取締役に、被告人小林信夫が代表取締役に、岡政雄が監査役にそれぞれ就任した旨の登記をなし、相被告人佐藤造を被告会社から排除しようと試み、相被告人佐藤造は、株主総会決議不存在確認の訴等によつてこれに対抗する事態にまで発展した(この間、昭和四九年九月一〇日付で取締役小林茂夫の職務執行を停止し、弁護士秋山知也を職務代行者に選任する旨の仮処分決定がなされ、同人の補助者である二本松徹夫公認会計士の調査結果に基づき 相被告人佐藤造において同五〇年二月被告人小林信夫を商法四八六条違反の容疑で東京地方検察庁に告訴するに至り、捜査の進展に伴い、本件法人税法違反まで発覚し、被告会社及び被告人両名が起訴される羽目になつたものである。公第三冊六八七丁裏ないし六九〇丁裏、乙12証第六冊一〇二八丁以下の佐藤供述、甲(一)1、2証第一冊三丁、四丁等)。本件店舗及びその売却金等の処分は、かかる破局を迎えた後の時点で行なわれたものであるから、相被告人佐藤造に図ることなく被告人小林信夫の一存で行なわれたのは当然の成行きであり、また、売却金等の使途が被告会社以外のところに向けられている点も、その時点における新たな背任、横領等の問題を生じ得ることは格別、これを以て遡つてスナツク「ルネサンス」等の開業時点における事業の性質を示すものと見ることは相当でない。

叙上の如く、検察官主張の(ア)ないし(カ)の諸点は、そのひとつひとつを取上げて見れば、いずれも本件飲食店営業の主体を示す決定的決め手となり得るものではないから、弁護人の所論と合せ、総合認定の資料とするのが相当である。

ちなみに、検察官は主張していないが、(ク)本件飲食店営業が被告会社のサイドビジネスであるとすれば、その本業である絵画販売部門の収支と合せ、飲食店営業による収支も被告会社の営業損益として当然計上されて然るべきであるのに、そのことがない点をも問題としなければならない。しかし、本件飲食店営業は、当初から被告会社の裏金を利用して行う事情を秘匿して、いわば脱税目的で企画されたものであり、その目的達成のため、被告会社と関係のない小林昭夫の名義に籍口し、資金源につき他からの借入金を仮装する等の工作まで行なつているのであるから、その収支関係を被告会社の帳簿に記載せず、簿外扱いしているのは予定の行動とも言うべく、そのことから逆に本件飲食店営業が被告会社の事業でないと推論することは許されない。

六  弁護人は、スナツク「ルネサンス」等は、昭和四八年三月の石油シヨツク以降絵画ブームが去り、三千画廊の絵画販売が急激に不振に陥つたことから、ヨーロツパに派遣していた画家二名に対する送金も覚束なくなつたので、右状態を打開し、被告会社の経営を支えるため、サイドビジネスとして開業に踏み切つたものであると主張し(弁(業)第二の二の(一))、これらの開業が被告人小林信夫個人の道楽ないしは小林兄弟によるコンツエルン作りであるとする検察官の前記所論を反駁し(同(二))、また、相被告人佐藤造の被告人小林信夫個人の対税工作を手伝つたに過ぎない旨の供述は虚偽である旨主張している(同(三))。

いわゆる石油シヨツクが起つたのが昭和四八年一〇月であることは公知の事実であるから、所論中、「石油シヨツク」とあるのは、「欧州を中心とする国際通貨危機」の誤りと認められるが、いずれにせよ、同年三、四月以降いわゆる絵画ブームが急速に減退し、被告会社の売上不振を招いたことは証拠上肯認できるところであつて、被告会社としては、従前のような収益を確保するためには、絵画販売以外に何らかの活路を見出す必要に迫られる事情にあつたことが窺われる。かような状況の下で、被告会社の代表者の一人である被告人小林信夫らによつてスナツク「ルネサンス」等が開業され、これに被告会社の簿外資金が投入されている事実を客観的に観察すれば、特段の事情のない限り、右開業は被告会社のサイドビジネスとしてなされたものであると推測でき、少なくとも被告人小林信夫の主観面においてはそうであつたものと一層強く推測できるところである。そして、検察官主張の前記(ア)ないし(カ)の諸点(但し、(イ)については判断を留保)が、いずれもそれのみでは、右推測を客観的にも主観的にも覆えすに足りるだけの特段の事情となり得ないことについては、前段説示のとおりである。そこで更に一歩を進めて、本件開業が被告人小林信夫の主観面に止まらず、客観的に見ても被告会社のサイドビジネスであつたものと断定するには、共同経営者の一人である相被告人佐藤造においてその旨の認識、すなわちスナツク「ルネサンス」等の経営主体が被告人小林信夫個人ではなく、被告会社であり、その経営に被告会社の簿外資金が投入されるものであることの認識を有しながら、これに協力した事実が必要であり、この点が最も重要な争点として残されているのであつて、弁護人の論旨ももつぱらこの点に集中している(弁(業)第二の三。なお、前記検察官所論(イ)の点も、この問題に関するものである。)。

七  この点に関する弁護人の主張は、大要次の如くである。すなわち、(ケ)相被告人佐藤造は、被告会社の昭和四八年三月期の決算書類の作成時期(同年二月以降五月末日ころまでの間)に、被告会社の裏金に関する対税工作の一つとして、被告人両名からの架空借入金を作為するため、内容虚偽の金銭借用証書(弁22号証の1、2)を作成し、同じころ、被告会社の裏金を担保として銀行から借入を行ない、被告人両名のためにマンシヨンを購入する企画を立てるなど、被告会社の裏金に関する対税工作やその利用方法につき積極的に関与していたものである(弁(業)第二の三の(一)の1、2)、(コ)同人は、右マンシヨン購入計画が日照権の問題で実現不可能となつた同年五月二五日ころ、被告会社の裏金対策として「株式会社ルネサンス」設立を企画し、架空借入金工作として弁25号証の1ないし3の書類を作成しているが、その中には「近い将来経営する飲食営業のために」云々の文言が見えている(同3)、(サ)同人は、スナツク「ルネサンス」等がオープンした同年七月五日より前の時点において、「収支計画書」と題する書面(弁第26号証)を自ら作成し、被告人小林信夫らに対し同店の経営につき事前指導を行なつているものであり、右書面を作成したのは同店のオープン後経営が思わしくなかつた時点においてであるとする相被告人佐藤造の供述は、右書面の記載内容自体に照らし、明らかに事実に反する(同4)、(シ)同人は、スナツク「ルネサンス」等の開店に際し、タイル工事人を紹介し、施行内容についての協議に参画し、「ルネサンス・心」の店名入りの佐藤造の名刺(弁第33号証)を持つて店の宣伝に協力し、開店案内パンフレツト(弁第29号証)等の作成に協力し、開店披露の引出物として松井豊、深見公道の色紙(弁第31号証の1、2)を企画し、両画家に依頼して無料で書いてもらう等、事務的細部に亘る積極的な協力を惜しまなかつた(同5)、(ス)相被告人佐藤造は、同年八日ころ、銀座のクラブで見掛けた方式を真似て、会員組織の「ルネサンス会」を作ることを企画し、規約案その他(弁第27号証、第28号証の1、2)の書類を自ら作成した(同6)、(セ)同人は、同年九月から一〇月ころにかけ、「有限会社ルネサンス」案を企画し、必要書類(弁第5号証、第35号証1、2)を作成した(同7)等の諸点がそれである。

八  右のうち、(ケ)の対税工作の点は、本件サイドビジネスとは直接関わりのないことである。被告会社においては、画商の仕事に多年の経験と蓄積を有する被告人小林信夫が仕入、販売等の営業面及び資金管理の面を担当し、企業会計の知識を有する相被告人佐藤造が記帳業務を担当する分業体制がとられていたのであつて、同人が対税工作上の書類を整えたのは、その守備範囲に属することを行なつたまでであつて、それ以上の意味を有するものではない。また、マンシヨン購入計画は被告人両名が相談して推進したことは所論のとおりであるが、そのことと、本件サイドビジネス計画が直ちに結びつくものでないことは、検察官所論のとおりである。すなわち、マンシヨン購入は、現金、預金等の当座資産の形をとつている被告会社の簿外資産を固定資産に転化させようとするものであつて、被告会社の経営が好調で利益が上つている時期における資産運用の一態様に過ぎないのに対し、本件サイドビジネス計画は、被告会社の経営が思わしくなくなつた時期に新たな事業を開始することによつて収益の維持を図ろうとするものであるから、全く別個の発想によるものであり、偶々時期的に接続するからといつて、一方の計画が自然に他方に移行するという関係にはないからである。弁護人は、(コ)の所論において、「株式会社ルネサンス」案は、マンシヨン購入計画が中止となつた昭和四八年五月二五日ころ立案されたかの如く主張するが、弁護人援用の関係書類は、対税工作上後日作成日付を遡らせて作成されたものであつて、作成日付の時点における相被告人佐藤造の認識状況を示すものと認めることはできない。

逆に、所論(ス)、(セ)の諸点は、本件犯行期間(同年六月一日から七月三一日まで)後の事情に関するものであるから、犯罪の成否とは直接の関わりはなく、間接事実としての意味を有するに過ぎない。

九  そうすると、焦点となるのは、所論(サ)、(シ)の諸点に集約される本件店舗オープン前後の状況である。

もともと、被告人小林信夫は、相被告人佐藤造に対し、本件店舗の開業を秘匿していたわけではなく、そのことにつき同人に相談し、その助言、協力を得ていたのであるから、同人が本件店舗の開業に協力している事実(たとえば、所論(三)の)をいくら積上げてみたところで、問題解決にはつながらないのである。重要なことは、その際、被告人小林信夫が相被告人佐藤造に対し、本件店舗の事業主体が被告会社であり、開業資金等に被告会社の簿外資金を投入するという事情を説明してその協力を求めたか否かという点なのであるが、証拠上明らかなように、同被告人は、そのことを明言しなかつたのであつて、これがすべての混乱の原因をなしているのである。すなわち、後日、相被告人佐藤造から、本件店舗は被告人小林信夫が自己の個人資金で開業するものと思い、友人として協力したに過ぎないと主張されるに至つたのは、すべてこの点に端を発しているのである。

それでは、何故、被告人小林信夫は相被告人佐藤造に対し、そのことを明言しなかつたのか。同被告人は、当初は、被告会社は同被告人個人のものだから相被告人佐藤造には関係のないことであり、説明する必要がなかつた旨述べている(乙3、証第五冊八八〇丁等)が、かかる前提が誤りであることについては既に判示したとおりである(同被告人が、当時真実そのように信じていたとすれば、犯意の点で若干の問題が残るが、そのことは別論とする。)。そこで、同被告人は、公判廷では、相被告人佐藤造は、開業資金等を被告会社の裏金で賄わなければならない事情を当然知つていたため、説明するまでもなかつた旨の供述(公第四冊一〇三八丁等)に変えている。

この点に関し、相被告人佐藤造は、証人として、同店の開業には七〇〇万円位かかると聞いていたが、被告人小林信夫個人で現金一〇〇〇万円位と斉藤真一らの絵画約二〇〇〇万円分位持つているのでこれを処分すれば三〇〇〇万円分の金はあると推測していた、開業資金はそういうもので当然やつていくと思つていた旨述べているが(第一二回公判、公第三冊六八七丁表裏、六九四丁ないし六九五丁)、その後の供述によれば、七〇〇万円くらいかかると聞いたのは昭和四八年五月ころのことであつて、同年七月のオープン前には約二〇〇〇万円かかることが分かつていたというのであり(第一三回公判、同七七七丁以下、同七八三丁以下、同七八八丁裏以下)、そのことは、後記のように開店前に作成されたものと認められる同人直筆の収支計画表(弁第二六号証)の記載からも裏付けられるのに対し、被告人小林信夫個人で現金約一〇〇〇万円は保有していたというのは相被告人佐藤造の単なる当て推量に過ぎず(同人は、推測の根拠として、さきに簿外役員賞与の点で問題とした四五〇万円の資金回収を挙げているが、仮にそのような事実があつたとしても、一〇〇〇万円の半分しか説明できないのであつて、その余の点については何らの説明もなされていない。)同被告人の三千画廊開業当時の資金保有状況及びその後の役員報酬その他の個人収入の状況(相被告人佐藤造においても、これらの状況は相当程度把握し得たはずである。)に照らしてみて甚だ過大であつてにわかに措信し難い。また、同被告人の絵画保有についても、その評価額は相被告人佐藤造の推測の域を出ないのみならず、そもそもいわゆる絵画ブームが終焉を告げ、売上げが思わしくなくなつたことが本件店舗開業の契機となつたことに思いを致せば、この当時、保有絵画があるからといつて、これをいつでも換金可能な現金同様の資産と考える訳に行かないことは見易い道理であり、絵画販売に従事している相被告人佐藤造にそれが分からないはずはない。そして、同人自身、同被告人がよそから借入をしていないことは分かつていたと述べているのである(第一二回公判、同六八七丁)。従つて、同被告人において、約二〇〇〇万円の開業資金を自己資金によつて賄うに由なく、他からの借入金にも頼らないとすれば、当時厖大な額に達しており、同被告人の管理下にあつた被告会社の簿外資金を以てこれを支弁する以外に道のないことは客観的に明らかなところであり、計数に明るい相被告人佐藤造においてこの間の事情を窺知し得ないはずはない(ちなみに、同被告人は、当時、それまでに処分した絵画代金を含めて、約七-八〇〇万円の現金を保有していた旨述べている。公第四冊九三〇丁。)。同人が、公判廷において、同被告人は当時現金、絵画合せて約三〇〇〇万円の資産を有し、これを以て開業資金を優に賄い得たかの如く供述しているのは、本件店舗営業が同被告人の個人事業であることを強調するための方便に過ぎず、本件開業時点においても右と同様の認識であつたものとは到底考えられない。このようにみてくれば、佐藤造は、おそくとも本件店舗の開業に約二〇〇〇万円を要することを知つた時点以降においては、これを支弁するために被告会社の簿外資金が使用されることを感知していたものと認めるのが相当である。

それにしても、被告会社の資金を新規の事業に投入することにつき、共同経営者の間で何らの話合いもなされなかつたという点には不自然さが残る。被告人小林信夫は多分に被告会社を私物視している感ががあり、そのワンマン的性格からしても、進んで相被告人佐藤造に詳しい説明をしようとしなかつたことも肯けないではないが、同人の側で会社資金が使用されることを感知した時点で、何故資金源につき同被告人に確かめることをしなかつたのであろうか。この点を解明するためには、被告会社の共同経営の態様としての被告人両名の間の分業体制に着目する必要がある。すなわち、さきにも触れたとおり(前記八の冒頭部分参照。)、もともと、本業である三千画廊の経営においても、被告人小林信夫が営業面(仕入、販売)及び資金の管理・運用面を主として担当し、相被告人佐藤造は経理記帳面と対税関係等の書類作成面を担当する体制がとられていたのであつて、このことは、被告人両名の社会人としての既往の知識・経験の差異が自ずと然らしめたものと認められるのである。そして、被告人両名の間に不和が生まれる前は、相互にその担当部門に自己の知識・経験を活用し、相手方の担当部門には深く立入らないことによつて共同経営の実を挙げてきたのである。実際、被告人小林信夫は、会社設立時の関係書類や商業帳簿、税務申告関係の書類作成等については相被告人佐藤造に一任しており、同人は仕入先の作家との交渉や現金、預金の管理・運用について同被告人のすることに干渉していないのであつて、被告人両名の間には、相互に、相手方の担当部門については、相手方を信頼して包括的に委任するに近い形でことが運ばれてきたのである。そして、本件店舗の開業については、絵画の販売と異なり、被告人小林信夫に何らの知識・経験がなく、相被告人佐藤造の方がまだしもそれを有しているという事情から、営業面については同人の指導、助言を求めるということになつたのであるが、資金の管理・運用面は依然として同被告人がこれを掌握していたことが窺われる。叙上の如き被告会社の共同経営の実態に照らしてみるときは、相被告人佐藤造において、本件店舗の開業資金に被告会社の資金が使用されることを感知しながら、敢えてその詳細につき被告人小林信夫に釈明を求めることなく、右事業に協力することになつたとしても、別段異とするに当らないこととなる。

一〇  前項を総括すれば、被告人小林信夫は相被告人佐藤造に対し、本件店舗の開業につき相談し、その助言、協力を得たが、その際開業資金等に被告会社の簿外資金を投入することを明言しなかつたところ、相被告人佐藤造の方では、開業等に要する資金の額、同被告人の利用し得る手持資金量に照らし、被告会社の資金が使用される事情を感知しながらこれに協力したということになる。被告会社の資金を使用して事業を営むのであるから、当然それは被告会社の事業-いわゆるサイドビジネス-として行なうこととなるが、相被告人佐藤造はそのことに反対せず、却つて積極的に協力を惜しまなかつたのである(判示のように、同人が被告会社の事業であると知つていたという前提が認められることによつてはじめて、前記所論(三)のの同人の協力の事実-証拠上略々所論に沿う事実を認め得る-が生きてくるのである。)。してみれば、被告人両名の間には、本件飲食店営業を被告会社のサイドビジネスとして行なうことについての暗黙の合意が成立していたものと認めるのが相当である。

以上の点に関連して、相被告人佐藤造が本件店舗の営業指針ともいうべき事項を列記して作成した前記「収支計画表」と題する書面(弁第二六号証)の作成時期につき、ここで判断しておくこととする(右書面は、同人の本件営業への関与の程度を示していると同時に、同人が本件店舗の開業資金等に約二〇〇〇万円を要する事実をいつ知つたかを示す資料として、前示認定事実と深い関連を有するのである。)。この点に関する同人の供述には動揺がみられる。すなわち、弁護人が手持証拠である弁第二六号証をはじめて同人に示したのは第一三回公判における反対尋問に際してであるが(公第三冊七八五丁裏)、その直後においては、記載内容からみて開店前に作成された書面であるということを前提とした弁護人の発問をとくに争わずに供述し、そうだとすれば開店前に二〇〇〇万円の計画であることは承知していたのではないかとの問に対しても「そういうことになりますね」と述べていたのであるが(同七八九丁表裏)、同書面の作成時期を改めて訊ねられると開店の前か後かはつきりしない、開店後客が入らないという状態で相談を受けてアドバイスしたものと思うとさきの供述を翻し(同七九〇丁裏ないし七九一丁)、裁判官の介入尋問によつて開店前の作成であることを再び認め(同七九三丁裏)、これを確認する弁護人の発問に対しては、時期ははつきりしないが開店の前後だつたと思う旨、やや曖昧な表現ながらこれを維持していたのであるが(同七九四丁)、第一八回公判に至り、被告人質問の形で自らの弁護人からの発問を受けるや、これは開店後しばらくして当初の売上目標を達成できないことから被告人小林信夫と兄の小林昭夫の間でトラブルが起り、同被告人から相談を受けて作成したものであつて、開店前に作成したものではない(公第四冊一〇五丁ないし一〇六丁)旨、供述を一変しているのである。

これに対し、被告人小林信夫は、弁第二六号証は、同被告人が保釈出所後、兄の小林昭夫方から発見したものであるが、これは相被告人佐藤造が自発的に作成して小林昭夫に交付したものであつて、その作成時期は昭和四八年六月一日に本件店舗の賃借契約を締結するより前だつたと思う旨述べているが(第一五回公判、公第四冊九二七丁裏ないし九二九丁裏)、六月一日より前というのはいささか早きに過ぎる感があり(五月中ということになれば、所要資金を約七〇〇万円と見積つていた時期に接着することとなる。)、また、右供述中には、二〇〇〇万円という計画は被告人両名で考えたと言つたかと思うと(同九二八丁)、それは相被告人佐藤造の独自の考えであつたと思うとするなど(同九二九丁裏)、やや場当り的な供述も含まれるので、むしろ、作成時期は要するに七月五日のオープン前である旨の供述(第一八回、同一〇三三丁裏)の方が穏当なところと言えよう。

被告人両名の供述がこのように喰違う以上、弁第二六号証の記載内容自体に照らして検討するほかないが、この点については、弁護人において縷々の論旨を展開しているところであり(弁(業)第二の三の(一)の4)、その説くところは、若干の細部においてやや牽強附会に過ぎ、反対解釈の余地を残すものが含まれるとは言え、大綱において首肯するに足り、同書面の作成時期は本件店舗の開店前であると解するのが最も合理的である。

ところで、証人小林昭夫は、ルネサンス開店後夜の仕事で大変だから給料を上げて欲しいと被告人小林信夫に要求したところ、同被告人は相被告人佐藤造と相談したうえ、その翌日、同人の作成した棒グラフ入りの横書の書面を持参し、従業員をどれだけ使つていればどれだけの売上がないと乗り切れない、思うような成績が上つていない等と言われたので、同被告人と仲違いして同年一〇月末日で同店を辞めた旨、相被告人佐藤造の供述に沿うかの如き供述をなし(第八回公判、公第二冊三四八丁裏ないし三四九丁、三五二丁ないし三五三丁、第一〇回公判、同四八七丁裏ないし四八九丁)、その後において、前回証言した相被告人佐藤造作成にかかる棒グラフ入りの横書の書面というのは弁第二六号証とは別個の書面で、これは現在所在不明である、弁第二六号証はルネサンスの開店前に三千画廊で被告人両名がルネサンスに予算以上の費用をかけ過ぎたということで相談したときに机の上にあるのを見た、これは証人方で発見して被告人小林信夫の釈放後同被告人に渡した書面と似ている旨、今度は被告人小林信夫の供述に沿う供述をしているのである(第二〇回公判、公第五冊一一九三丁以下)。第二〇回公判(昭和五二年一一月七日)が行なわれたのはルネサンス開店から四年以上経過した後のことであり、同証人は、その直前に検察官の取調べを受けた際にも、ルネサンスの経営状態が悪い時点で佐藤の書いた棒グラフ入りの書面を信夫から受取つたのはその時一度だけである旨述べていること(小林昭夫の検察官に対する昭和五二年一〇月二五日付供述調書、証第六冊一二六八丁)に照らすと、同証人の第二〇回公判における供述は、果して供述内容どおりの記憶を回復し、その記憶に基づいて供述しているのか、あるいは、単に、退職直前に見せられたとすれば、その記載内容からして弁第二六号証ではあり得ないから、別個の書面に違いない旨の「弁護人の論理」を承認したに過ぎないものか疑わしい。しかし、同証人の記憶喚起の如何に関わりなく、右弁護人の論理は論理自体としては正当であつて、弁第二六号証の記載中には昭和四八年九月のことを明らかに未来の時点として捉えている表現があるから、同年一〇月末日の退職直前に同証人が見せられた書面(同証人の証言によれば、その前日頃作成されたものと見るのが自然である。)ではあり得ないこととなる。あるいは、同証人に示した書面がその前日頃作成されたものではなく、それ以前に作成され、被告人小林信夫において手許に保管しておいた弁第二六号そのものであつたという可能性も全く否定し得ない訳ではないが、仮にそうだとすれば、その作成時期は同証人の退職直前の時点ではなく、それ以前の不詳の時期ということになるだけのことであるから、前示認定とは牴触しない。いずれにせよ、同証人の第八、一〇回公判における供述の存在は、第二〇回公判における訂正をまつまでもなく、前示認定を左右するに由ないところである。してみれば、弁第二六号証は、本件店舗開業前の時点で相被告人佐藤造が自ら作成したものと認むべきであり、同人は、その中で、本件開業資金が約二〇〇〇万円であることを前提として、その営業方針につき詳細に指導、助言を行なつているのであつて、このことは、同人が本件店舗の開業資金等に被告会社の資金が使用される事情を感知しつつ、これに協力したとする前示認定を裏付けることとなるのである。

一一  叙上の次第であるから、スナツク「ルネサンス」等の開業は被告会社の収入を側面から支えるためのいわゆるサイドビジネスとして企図されたものであり そのことには被告会社の実質的な全役員、全株主である被告人両名の合意があつたものと認むべきである。被告会社の資金運用の細部に亘り明示的な相談が行なわれていないとしても、それは被告会社発足以来の被告人両名の間の分業体制に基づくものであるから、右認定を左右しない。そうだとすれば、被告人小林信夫の本件所為は、被告会社の代表取締役として被告会社の業務を遂行したまでであつて、業務上横領罪を構成するものではないこととなる。

検察官は、被告会社は被告人両名とは別個の人格を有する社会的実在であつて、たとえ会社の機関である被告人両名の間に会社資産を会社の目的外の行為に費消することについての合意が成立したとしても、違法性が阻却されるべきいわれはない旨主張するが、被告人両名は単に被告会社の実質的な全役員であるのみならず、被告会社の実質的な全株主でもあるのである。全株主の総意によつて決せられたものである以上、本件事業が被告会社の事業ではないとは言えないのであつて、仮にそれが定款所定の営業目的に含まれるか否かに疑義があつたとしても、単に定款変更の手続が履践されていないという問題を生ずるのみであり、そのこと故にそれが被告会社の事業でなくなる筋合のものではない(ちなみに、右定款変更手続の懈怠によつて被告会社の取引先や債権者に何らかの迷惑を及ぼした事跡も窮われない。)検察官の所論は理由がない。

よつて、本件業務上横領の訴因については犯罪の証明が十分でないことに帰するから、刑事訴訟法第三三六条により、本訴因については被告人小林信夫は無罪とする。

(裁判官 半谷恭一)

目次

主文・・・・・・一六〇八

理由・・・・・・一六〇八

第一部 被告人三名に対する法人税法違反被告事件・・・・・・一六〇八

(被告人両名の経歴及び被告会社設立に至る経緯)・・・・・・一六〇八

(罪となるべき事実)・・・・・・一六一〇

(証拠の標目)・・・・・・一六一〇

(争点に対する判断)・・・・・・一六一四

第一 重加算税を賦課されなかつた過少申告分(「<4>期末商品棚卸高」及び「<11>広告宣伝費」勘定)について・・・・・・一六一四

第二 被告会社設立登記前の営業損益の帰属(「<1>売上高」及び「<3>商品仕入高」勘定)について・・・・・・一六一九

第三 その余の「<3>商品仕入高」勘定について・・・・・・一六二八

第四 その余の「<4>期末商品棚卸高」勘定について・・・・・・一六二九

第五 「<5>役員報酬」及び「<29>損金不算入役員賞与」勘定について・・・・・・一六三一

第六 「<6>給料手当」勘定について・・・・・・一六四三

第七 「<12>旅費交通費」勘定について・・・・・・一六四七

第八 「<23>雑費」勘定について・・・・・・一六四七

第九 財産増減法による計算結果との不突合額(「<14>交際費」及び「<28>損金不算入交際費」勘定)について・・・・・・一六四九

第一〇 所得金額及び税額の計算について・・・・・・一六五七

(法令の適用)・・・・・・一六五九

別紙(一) 修正損益計算書・・・・・・一六六一

別紙(二) 税額計算書・・・・・・一六六二

別紙(三) 月別交際費一覧表・・・・・・一六六三

第二部 被告人小林信夫に対する業務上横領被告事件・・・・・・一六六四

第一 本件公訴事実の要旨等・・・・・・一六六四

第二 弁護人の主張・・・・・・一六六五

第三 当裁判所の判断・・・・・・一六六五